ロンドン ゴースト
倫敦幽霊バラッド

 日本にこれだけ幽霊がいるのなら、歴史もあって血塗られた騒動も多かったロンドンに幽霊がいないはずがない。そう思うのが普通なのに、現地の知り合いからそうではないと聞かされたという親の言うことを真に受けて、池で溺れたことがきっかけで幽霊が見えるようになってしまい、家族がそれを信じているかは別にして、自身は家からろくに出られなくなってしまった商家の次男坊の浅倉柊二郎が、ロンドンへと留学したらやっぱり幽霊がいっぱいいた。

 逃げ出したくても帰るに帰れず、ロンドンの街をず彷徨っていた時、なぜかそこにいた日本人の幽霊の少女と出会う。彼女はけれどもどうして自分がロンドンにいるのか分からなかった。記憶をすっかり失っているらしい。行田尚希の「倫敦幽霊(ロンドンゴースト)バラッド」(メディアワークス文庫。630円)は、そんな出会いから幕を開けるゴースト&ミステリーだ。

 日本から送られて来た箱に入っていた一種の遺品に思いをつないで、少女の幽霊もロンドンまで来てしまったらしい。そこで鼈甲の櫛、小さな十字架がついた首飾り、そして兎の帯留めが散逸して、記憶が飛んでしまって名前も、ロンドンに来た経緯も思い出せずにいた。ちょうど出向いたパブで、黒い犬をかたわらに侍らせた男の幽霊と知り合い、記憶を取り戻すには、箱に入っていを集め直す必要があると知って、柊二郎は彼女がなくした記憶を求めて失われた品々を探すことになる。

 パブで出会った幽霊はジャックという名で、ロンドン中に幽霊の知り合いがいるらしく、彼を案内人のようにして柊二郎の探索が始まる。その途中、劇場で出会った道化の幽霊がかつて観ていたある女優が、新しく劇場を建てたもののその前に知人らしい女の幽霊がいるのが見えて、それを柊二郎も見えると知って払って欲しいと頼まれる。

 女の幽霊はいったい何を心残りにしているのか。かつて劇場を建てた元女優と競い合っていたこともあって、舞台に立ちたいのかと思って楽屋口に誘ったものの付いてこない。ではどうして。そこにあった友情であり謙譲の想いが心に響く。あるいは死んだ兄の幽霊をかたわらに置く少女を出会い、兄がこっそりと貯めていたお金をいったい何に使おうとしていたのかを調べるエピソード。ほのかに恋心を抱いていたウエイトレスの願いを聞き届け、同時に妹に対しての愛情も見せて兄はすっと消えていく。

 願いがかなえば幽霊は消える。それはつまり、柊二郎が瑠璃と呼ぶようにした少女の幽霊も、なくした記憶を得れば消えてしまうことでもある。柊二郎は迷う。けれども集めて少女に自分を取り戻してもらいたいと願う。切なさを感じさせる設定。人にとって、あるいは幽霊にとっても意思のあることがどれだけ大切なのかを思い知らされる。記憶を失ってしまった幽霊たちの多くが、混乱から意識を混濁させてしまうこともそれをうかがわせる。

 歴史も伝統もあるロンドンだけに、出てくる幽霊も多彩で時にゴージャスで、死刑が行われたロンドン塔に暮らす幽霊たちは、歴史の本を開いて誰なのかを調べてみたくなるくらい。処刑されたからなのか、あるいはそしてロンドン塔が壊されることはないからなのか、いずれも記憶を途切れず存在し続けている。一方でパブにいて柊二郎を助けた幽霊は、思い出の場所が消え記憶を失っていた。どうやら縁の場所が取り壊されてしまったらしい。

 それでも彼は気をおかしくさせることなく自分を保っている。そんな意志の強さがあるいは、生前の彼をイーストエンドのヒーローに仕立て上げたのかもしれない。その正体が何者かは読んでのお楽しみ。いずれにしても有名どころがゴロゴロと出てくるロンドンの幽霊界、会えるならこんなに素晴らしいことはないのに、柊二郎はやっぱり幽霊たちが怖いらしい。もったいない話だ。

 冒頭で触れられる、窃盗が相次いでいるといった前振りから、瑠璃を巡る物語を引っかけ、兄が幽霊になった少女も絡めて進んでいく展開は、生者の間でいったい何が起こっているかを描き、その真相を探る一種のミステリにもなっている。柊二郎たちは幽霊が見えて話せるという“武器”を生かして、そんな事件に挑み、瑠璃の記憶にまつわる品々の探索を続けていく。

 そして探索が終わり、ハッピーともいえるエンディングを迎えながらも柊二郎は喪失を惜しんでいる暇はなさそう。ロンドン塔の重鎮が手助けをしたことを理由に柊二郎をこき使おうと考えている。人間でありながら幽霊が見える彼が、その橋渡しとなって幽霊にとっても、人間にとっても重要な事態に関わり解決していく物語が紡がれそう。その中で、ロンドンにまつわるさまざまな事件が暴かれていくことになるのだろうか。ジャックはジャックでも世界が震撼するジャックの事件とか。


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