リープ・イヤー

 民主党と共和党がそれぞれに行う予備選挙の期間を入れると、ある候補者が大統領に立候補してから本当に大統領に就任するまでの期間は1年弱に及ぶ。この間、大統領選挙を取材するジャーナリストが、飛行機に乗って、電車に揺られ、バスでふらふらになりながら、アメリカ合衆国中を候補者とともに旅して回る様は、筑紫哲也の「アメリカ・マラソン」あたりに詳しいと思う(読んだことがないから知らないけれど)。

 「リープ・イヤー」は、アメリカの作家、スティーヴ・エリクソンが1988年の大統領選挙について、主に民主党候補の遊説や予備選挙、党大会の模様を取材して書いたノンフィクション。「黒い時計の旅」のようなフィクションとは違って、ストーリーがあるわけではない。レーガン大統領の後を受けた選挙でどうやら共和党が勝ちそうで、いやだなあと思っている作者の気持ち、じゃあ民主党の方はどなんだっていうと、ジャクソンのようなましな立候補者が予備選で破れ、デュカキスやモンデールといった人たちには、はなっから期待もしておらず、寂しいなあっていう気持ちが全編に満ちている。

 SFのようなセンス・オブ・ワンダーはないし、推理小説のような謎解きのカタルシスもないが、淡々とした語り口の中に、ただただ健全さばかりを大統領候補に求めるようになった風潮の堅苦しさへの不満、そうした風潮を作り出したマスコミや世論への批判がうかがえる。

 この作品が書かれて後のインタビューで、ブッシュが破れ、民主党のクリントンが大統領になったことについてふれ、「変化」への期待を表明しているが、就任から2年あまりがたとうとしているのに、アメリカが目に見えて変わったといういうような感じは受けない。むしろデンと構えて高見で見物していたような余裕が消えて、何かにつけて小言をいうしゅうとのような国になっちゃったなあ、と僕は思う。エリクソンはどう思っているのだろう。

 「リープ・イヤー」にも登場したジェファーソンとその愛人、サリーが再び登場するフィクション「アーク・デックス」が早く読みたい。

 「リープ・イヤー」にはアルバート・ゴア現副大統領が予備選の候補者として登場するけれど、クリントンの名前は一行たりとも出てこない。当時は無名だったんだね。

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