広告放浪記

 作家になった人が作家になる前に作家になろうとして作家になり切れない日々を綴ったエッセイもしくは私小説が好まれるのは、誰もが作家になりたいと思っていながら作家にはなれそうにもないと諦めかかけているところに作家になれるかもしれなという希望を与えてくれるから、なのかもしれない。

 どんな感性を持ってどんな毎日を送りながらどんな修行を重ねどんな恋をして、そして仕事もちょっぴりだかしっかりだかこなしていく日々から浮かび上がる様々な事柄。それはかつてそうだったんだという過去を探って楽しむファンとしての醍醐味とは別に、これからそうなるんだという未来を想って立ち向かうドリーマーとしての希望を心に灯してくれる。

 例えば筒井康隆の「腹立半分日記」。作家になって以降の青山に暮らして毎日をあらえっさっさと過ごした日々も、そんな賑やかな毎日が送れるのかと作家への羨望をかき立ててくれたけれど、もっと以前のディスプレー会社へと入ってサラリーマンとは言いながらも毎日デパートを回り夜通しでディスプレーの制作に立ち会ったりした日々の狭間に、喫茶店で原稿を書いていつかプロになってやると苦闘した日々も、あの天才をして努力せしめるほどに作家は憧れの仕事であり、また苦労なくしてはつかめないものなのだということを教えてくれる。

 あるいは椎名誠の「新橋烏森口青春編」や「銀座のカラス」や「本の雑誌血煙録」。未来に作家として活躍するとはとうてい思えないまま4、5人も載れば満杯になってしまうエレベーターで上がった雑居ビルの中にある業界新聞に入って、慣れない取材や広告取りに勤しみながら本を読んで恋もして過ごしていた日々の蓄積が、今の還暦を過ぎてもなおあらゆる面白いことにどん欲な椎名誠を生み出したのだと思うと、遠回りだって悪くはない、経験を重ねてこそ得られる味もあるんだといった気にさせられる。

 そして登場した浅暮三文の「広告放浪記」(ポプラ社、1600円)。筒井康隆や椎名誠に比べて今ひとつかも知れない知名度を補則するなら、SFやミステリー関係のイベントに行くと、昼間から缶ビール片手に歩いてて夜になるとウイスキーに代えてあちらこちらを歩き回り、速射砲のように喋って喋り倒してどっかに行ってしまう賑やかなおっさん、というビジュアルで有名な人であり、そしてもちろん書く方だってこれがどうしてなかなか過ぎるくらいになかなかな人だ。

 メフィスト賞を受賞した「ダブ(エ)ストン街道」(講談社)でデビューしてからこちら、超絶ベストセラーはないものの、読んで頭をまさぐられ感覚を脅かされるような不思議な味わいの小説を書き続けてきている浅暮三文。ミステリーともSFとも純文学とも違っていて、同時にそれらのどれとも言えそうなジャンルを1人で背負い、盛り立てているこの作家がいったいどうやって出来上がってきたのかを綴ったのが「広告放浪記」ということになる。

 今も本業はコピーライターで数々の広告賞を受賞するくらいに活躍している人だという話は有名だけれど、そのルーツは大阪にあって老舗のM新聞系の広告会社で3行広告を取っていた営業マン。ルートセールスなんてお得意さんとの関係維持だけがもっぱらな仕事とは違って、いきなり飛び込みであちらの会社を尋ねこちらの飲食店を回り、新聞に広告を出して下さいと頼んで回る毎日に叩き込まれる。いくら他人とのコミュニケーションが巧みで、常に陽気に見える関西人だって大変だった模様。というよりむしろ実利に細かい関西人を相手に広告スペースを売る仕事は相当に大変だったと見受けられる。

 そう簡単には広告はとれず、かといって仕事をサボる訳にはいかないと、ほどのつき合いを作ってそこに顔を出しては日報に記録する日々を送りつつ、いつか地べたをはいずる回る暮らしから脱出してやろうとコピーの勉強をスクールに通って始めたり、コピーに関する本の巻末にあった応募券を使い添削を受けた東京の有名コピーライターと手紙でやりとりを重ね、クリエイティブについて学ぶ日々を送って研鑽を積む。

 その間も本業の方はといえば、ようやく取った英会話学校の広告がクライアントの夜逃げでパーとなり、通販会社の広告も登記簿を寄こせと会社に直接言いって信用していないのかと誹られおじゃん。それでも逃げずに地べたをはいずり回り、支社の若手が反乱を起こして人がいなくなった金沢に手伝いに行ってタウン誌の広告を取り、そして夜にはコピー修行に明け暮れる。そんなこんなで2年近くが経過。念願かなっていきなり3つもの会社から制作の仕事で採用したいと言ってもらえるようになる。

 その内から、手紙でやりとりしていたコピーの第一人者が経営する事務所に誘われ上京を果たし、更には作家修行を始めて幾年かを経て新人賞を獲得し、デビューしてそしてミステリーで権威ある「日本推理作家協会賞」まで受賞してしまったことは誠に凄い。その後も作品数はどんどんと増え、文芸誌の「群像」にまで登場してとフィールドを広げ続けている。頑張れば願いはかなうもの。コピーライターになれたのも、作家になれたのも頑張り続けたからに他ならない。

 今や知る人と知る作家となった浅暮三文。その前衛ぶりが祟ってか、芥川直木三島山本といった名のある文学賞にとんと顔を出して来ないのが残念というか不思議だけれど、仮に受賞して東京會舘なりの発表会場に現れては、どこかのパンク作家が見せた椅子に突っ込むパフォーマンスの代わりに、イベントなどで見せてくれていた「あっさぐれでーす」とポーズを決めて叫ぶ自己紹介を行っても、そればかりが目立って後の仕事に差し支えるかもしれないから悩ましい。悩ましいけれども見てみたい気持ちも尽きない。

 石の上にただ3年、座っているだけではお腹が減るだけ。大切なのは念じ続ける上に努力もし続けることのだと教えてくれる本。ただし東京へと誘われたラストを成功の到達点を読んではいけないことは、以前に書かれた東京時代をつづった「嘘猫」(光文社、476円)を読めば分かる。何しろ誘われ入社を決めた会社を袖にしてまで入った会社で、丁稚奉公ばかりさせられていたことに不満を募らせ不和を起こして、1年経たずに辞めさせられてしまったのだから。そんな破天荒で型破りな人間でも、コピーで成功できるし作家にもなれる、といったことが分かるという意味でも、未来に希望を抱かせてくれる、かもしれない。


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