こいもく1

 「こいもく 1」(キルタイムコミュニケーションズ、552円)という漫画の谷間が素晴らしい。違う、谷間ではなく物語が素晴らしいのだけれど、表紙絵になっている眼鏡の女性の谷間からして、もうとてつもない素晴らしさ。そちらへと目が向いて本編なんてまるで頭に入らない人もいそうなくらいに、妖艶で淫靡な雰囲気を醸しだしている。

 もっとも、そんな雰囲気こそがこのキャラクターの魅力のひとつ。名を沢野口日向というその女性は、主人公で漫画家志望の稲嶺耕太という青年が暮らすアパートの隣の部屋に住んでいて、いつも朝帰りで何の仕事をしているのか分からない。とにかく奔放で自由な性格で、耕太がアクシデントで迷惑をかけた彼女のために、部屋で食事を作っている間に、平気で脱ぎ出してお風呂へと入ってしまう。

 もっとも、そこで恋仲になる訳でもなく、耕太は漫画家になるべくアシスタントの仕事を重ねていたものの、巧みな絵が描ける訳でもなく、かといってそれを認めるにはプライドが許さないジレンマに悩んでいた時に、原稿用紙にインクをぶちまける大失敗を冒してしまい、将来を儚んで落ち込んでいたところに隣の部屋の日向が現れ、耕太の描いたネームを見て「私と一緒に作ってみませんか、漫画」と言ってきた。

 その正体は「月刊コミックスプラッシュ」という漫画誌の編集長。それもただの美人編集長というだけでなく、今は有名になっている漫画家を何人も発掘して育てた、伝説の編集者だという逸話を持っていた。そして日向は耕太のネームを読んで、何かを感じてデビューさせようと誘いかけ、聞いた耕太もこれはチャンスと喜ぶ。

 もっとも、そこで謙虚になれるなら、とっくに諦めるなりデビューしていただろう耕太には、過剰な自意識がある上にふてぶてしさも足りず、日向を単に若者食いの女性だと疑い逃げ出してしまう。その先で、前に面倒をみてもらっていた編集者の上司の編集長で、十文字さやかという女性が耕太のネームを読んで、日向と同様に何かに気付いて漫画を描かないかと誘いかける。

 漫画の漫画という「バクマン。」だったり「G戦場ヘヴンズドア」といった作品と並ぶジャンルの1冊。方やグラマラスで奔放で天才の日向、こなた怜悧でクールで秀才肌のさやかという、2人の美人編集長に挟まれて、耕太にいろいろと春が訪れるかというとさにあらず。

 セックスしてくれれば漫画が描けると日向に持ちかける耕太に、それで描けるならと受けて立とうとする日向を見て、耕太がたじろぐとそれだけの覚悟もなかったのかと誹る日向。漫画を描く熱情なり信念については、日向だけでなくさやかも、そして他の漫画家たちも鬼のような凄みを見せる。エロティックな場面など皆無。その厳しさに耕太は甘さをつかれ、悩み果てながら、自分を見つけようと必死にあがく。

 その意味では、楽しくも厳しい漫画の世界を描く漫画としてのスタンスを、徹頭徹尾に貫き通している「こいもく」。そのジャンルの代表作とも言えそうな「バクマン。」ほど、漫画業界のシステムが詳細に描かれている訳ではないけれど、こと漫画と向き合う態度、あるいはプロフェッショナルとして何かを作る立場にある人間に、何が必要かをしっかりと教えてくれている。読んで目に麗しく、心に突き刺さる漫画の漫画。こんな作品は他にない。

 迷い流れた果てに日向の下へと戻った耕太が、描く漫画はどれほどの驚きをもって世界に迎え入れられるのか。そして漫画をどう変えていくのか。何人もの才能を送り出し、けれども手元に残していない日向にとって、耕太はあくまでも才能であって、巣立てばそれを見送るのか、別の思いが浮かぶのか。先への興味も尽きない。そしてやっぱり谷間にも。

 何しろ原作が谷間に溢れた「フリージング」を手がける林達永。李海源の作画に対してもきっと手は抜かず手で抜かせるだけのビジュアルを要求しているに違いない。あるいは展開でも。期待するしか他にない。


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