子供はわかってあげない

 学校の屋上でアニメのヒロインを描いているようなオタク少年は、気持ちが悪い奴だと女子はもとより男子のクラスメートたちからも蔑まれて遠ざけられ、水泳部で選手になるような美少女と友だちになったり、ましてや恋仲になるようなことはない。

 そんなオタク少年の兄が前は兄であったのに、姉となって戻ってきて家を勘当され、飛び出してひとり、商店街の古本屋の2階に居候をするようにして探偵の仕事を始めていれば、さらに胡散臭さを持って見られるというのが、旧態依然とした観念としての世間体というものを踏み台にして浮かぶ、偏見にも似た一方的な理解だろう。

 もっとも、趣味でも嗜好でも多様であることが認められ、尊ばれるようになっている現代において、趣味がオタクであっても、性別が途中で変わったとしても、父親が母親の再婚相手であっても、いなくなった本当の父親が新興宗教の教祖だったとしても、おかしいことはまったくないし、違和感をもって眺めることもない。

 いや、現代においてもそうした差異をとがめ立て、あげつらっては糾弾に向かいたがる心理的な圧力はあったりする。勢力もいる。けれどもそうした差異は、歯の並び方が違っているとか、色の好みが分かれているといった程度の小さな差異として、抑えることが可能だし差異とすら感じないようにだって出来る。物語の力で。

 そう物語。田島列島という漫画家による「子供はわかってあげない 上・下」(講談社、各630円)に描かれた物語の力は、ともすれば大げさな問題として描かれがちなそうした差異を、ほんわかとした絵による平穏で優しげな日常描写の連続に紛れ込ませて、たいしたことだと感じさせないようにしてくれる。

 屋上で棒の先に筆をくくりつけ、大きな紙に「魔法左官少女バッファローKOTEKO」を描いていた字が上手いもじくんこと門司昭平は、プールサイドで大会に向けて練習中だった水泳部の少女、朔田美波ことサクタさんにその姿を見つけられ、隠れオタクだったことを知られると同時に、サクタさんもオタクだったことを知って話すようになる。

 そんなサクタさんには秘密があって、今の父親は実の母親の再婚相手で、本当の父親はどこかにいるらしいけれど、そんな父親から謎めいたお札が家に送られて来るようになっていた。いったい何者? どこで何をしている? そんな疑問も一方にありながら、やはり本当の父親が誰かを知りたかったサクタさんは、もじくんの兄が探偵をやっていると知って依頼に出かけると…。

 現れたのは明という名の女の人。兄なのに。それはつまり…とう訳で、厳格な書家だった祖父に叱られ勘当されて家を出て、今は商店街で探偵をしながらたいていは、商店街のためにチラシや福引きの案内や飲食店のメニューを書いて暮らしていた。そんな身に探偵らしい依頼があったと明は喜び、手がかりとなるお札を受け取って気づく。


 さらにサクタさんに続いて現れた、とある新興宗教に所属している千本木さんとサエグサさんという2人組の男性から、お金を持って逃げた教祖を見つけだして欲しいという依頼を受け、その教祖の名前を知って思いっきり吹き出す。サクタさんの依頼と、新興宗教の2人組からの依頼がピッタリとかさなり、そこに祖父の仕事も積み上がってねらいを定めた明は、探偵らしい働きを見せてひとまず謎を解き明かす。

 オタクに新興宗教に探偵に超能力まで加わって、ハードボイルドでサスペンスフルな展開がさぞや繰り広げられるかと思いきや、現れる人たちは誰もが淡々としていて親切で、優しさがあって慈しみを持って生きている。オタクであってももじくんは虐げられず、サクタさんは母親が再婚した父親からしっかり愛され、明は居候している古書店の店主からも、暮らしている商店街の誰からも必要とされて生きている。

 差別もなければ区別もない、ごくごく普通の日常として過ごされ、過ぎていく中で描かれるのは、知り合ってからだんだんと近づいていく、もじくんとサクタさんとの2人の関係。まだ若い2人だから、目の前のごくごく親しい関係が大切なんだという見方もできるけれど、そんな2人の青春する姿から、誰にでも大切なことがあって、その生き方に疑問なんて差し挟めないという思いも浮かんでくる。

 もちろん世の中にはまだまだ偏見はあって、新興宗教といえば胡乱なものとして捉えられ、性別が変わった人への興味本位な視線は薄まらず、両親がそろっていない家庭をとらえて特別なものとしたがる古色蒼然とした観念を抱く老人もまだいたりする。実際に怪しげな動きをする新興宗教もあるし、差別や貧困が招く悲惨な事件も後を絶たない。

 けれども、だからこそそれらを特別と思わず、上にも下にも置かないで日常として受け止め、日常の中に溶け込ませていくことによってこの、「子供はわかってあげない」のような平穏で、優しげで楽しげな日々というものが生まれてくる。学びたいしあやかりたいその物語世界、その登場人物たちの思考。この物語が広まることによってそんな世界が訪れて、そんな人たちでいっぱいになることを願いたい。心から。


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