麒麟館グラフィティー

 吉村明美さんの「麒麟館グラフィティー」を、同時代で読めた人のことを、とても羨ましいと思っている。成長していく登場人物たちに自分の気持ちを照らし合わせることが出来たから。成長している自分自身を重ね合わせることが出来たから。

 単行本の奥付から類推するに、86年の終わり頃から91年の終わり頃まで5年近くにわたてって連載された「麒麟館グラフィティー」は、今、小学館のプチコミフラワーコミックスから全13巻と番外編1巻が刊行されている。どこの本屋に行っても、全巻揃えてびっちり棚に並べてあるところを見ると、連載当時から、そして連載終了後の今に至るまで、とても人気のあった作品のようだ。しかし不勉強なことに、僕はこの作品を始めて読んだ。いや、この吉村明美さんという漫画家を始めて読んだ。話題になっている作品はもとより、話題になりそうな作品を目敏く見つけて読んでしまうところに、自分の特性があるのだと自負していたのに、これほどまでの人気作品を見落としていたとは、ただ不明を恥じるばかり。作品の存在を教えて戴いたwallflowerさんに感謝します。

 急逝した祖母の代わりに、下宿「麒麟館」の管理人になった主人公の女性、妙。「麒麟館」に引っ越すことになった雪の日、道の真ん中でうずくまっていた女性を拾った。夫といさかいを起こして家を飛び出して来たというその女性、菊子の夫が、実は妙の学校の先輩で、ずっと片思いの男だった・・・・。

 導入部の描写は、いつかどこかで見たような、あるいはどこかで読んだようなパターンといえなくもない。下宿の管理人と下宿人との和気あいあいとした日常を積み重ねていくような最初の頃の話のパターンも、楽しいのだけれど、緊張感に乏しかった。

 それが、単行本の3巻あたりから、ぐっと印象が替わって来た。話に引き込まれるように次の巻、次の巻へと手が伸びて、気が付いたら最初に買った5巻を読み終え、続きを買いに家を出て、本屋に足を運ばせるほど、この作品が好きになっていた。何故だろう。たぶんそれは、菊子というキャラクターが、自分を大きく主張し始めたからだと思う。

 純情だから、従順だからという理由だけで、高校を卒業したばかりの菊子を妻に迎えた夫に、菊子は口答えもせず、逆らいもせずに仕えてきた。それが家を出てから、妙をはいじめ下宿のいろいろな人達と出会い、道具としてしか自分を見ていなかった夫とは違って、自分を好きだといってくれる下宿人の火野美棹にも出会った。従順だった、あるいは従順であることが当然だと思わされていた自分が、実は世の中のあらゆる人達と対等の存在であり、受け入れるばかりでなく、主張することも出来るのだと気が付いた。

 妙は徹頭徹尾、強い女性を演じ続ける。自己主張が激しい、菊子とは対称的な女性い描かれている。しかしその内面は、巻を追うごとに大きく揺れ動いていく。感情をあらわにしているようで、素直になれない自分に歯がみしなが生きていく様は、自分を飾ることばかりに執着して、妻を道具としか見ようとしなかった菊子の夫、宇佐見秀次にどこか似ているような気がする。最初から最後まで秀次のことが好きだった妙、菊子の自分に対する気持ちにようやく気が付き、同時に妙への気持ちに気が付いた秀次。2人の強情なキャラクターが、終巻後にいったちどんな人生を送っているのか、ちょっとばかり見てみたい気がする。作者は描きたくないようだが。

 同時代で読めなかったのは残念だけど、単行本を読んでいた時間のなかで、取り繕うよりも、ごまかすよりも、素直であることの大切さを噛みしめることが出来た。「麒麟館グラフィティー」という作品が、今もなおこれだけの支持を受けているのか、解ったような気がする。

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