金星で待っている

 才能というのはひとつじゃなくて、あちらこちらに散らばっていて、それを集めることでより大きな才能が生まれて、とても大きな事ができるようになる。

 もちろん、たったひとりでとてつもない才能を発揮して、生みだし引っ張って作りあげる人もいるけれど、そんなとてつもない才能であっても、たったひとりで荒野にいたら何も作りあげられない。応えて動き作り出す才能があってこそ、とてつもない才能のとてつもなさが生きてくる。そういうものだ。

 才能とは何だろう。高村透の「金星で待っている」(メディアワークス文庫、610円)という小説はそんな、さまざまな形や大きさを持って世の中に散らばっている才能について、考えさせてくれる物語なのかもしれない。テーマは演劇。主人公の森下大樹は劇団の主宰者にして演出補助の仕事をしている。通称エンポ。主宰という割には上に立って威張っているのではなく、制作もこなせば会計から美術からと諸々の仕事をこなしている。

 つまりは雑用に近い存在。それで主宰とはつまりお飾りという奴で、実質的にはシーナという脚本家がいて演出家でもあって、劇団の中心的なことはすべて彼が仕切っている。シーナは紛うことなき天才で、劇団の立ち上げから公演の実行まで精力的に動き回って、業界でもそれなりに名前が知られる存在となっている。

 そんなシーナがスランプになった。公演の予定は決まっていたのに脚本が仕上がらず、ヒモみたいに知り合いの女性のところに転がり込んでは、劇団に出てこない日が続いていた。エンポはそのため、たったひとりで新しい劇団員候補のオーディションを行うことになった。

 やって来たのが女性で名前は金星人。もちろん宇宙人ではない。「金星で待ている」はSFではなく、ごくごく普通の青春ストーリー。だから金星人というのもあくまで自称で、履歴書の住所や電話番号やメールのアドレスはちゃんと書いてあった。紛う事なき人間の日本人。それなのに名前だけは頑なに金星人だといって譲らない。

 ちょっとおかしい人なのか。これでは一緒にやっていくのは難しいのでは。そう思いながらもエンポは、彼女にエチュード、すなわち即興劇をやらせてみたらこれが巧い。とてつもなく巧くてもう採用するほかなったけれど、シーナのOKももらって新たにメンバーとして加え、そして劇団は次の公演に向かって動き始める。

 とはいえ、もうしばらく下降線気味の劇団は、メンバーが揃って練習することもなくなり、シーナの脚本も出来上がらず次の公演が行えるかどうかの岐路にあった。もしも中止となればそのまま解散、という可能性も浮上していた劇団に、新しく加わった金星人が強い言葉で叱咤を加え、メンバーの奮起を促しそれによってどうにかこうにか動き始める。それでも。

 シーナの脚本は仕上がらず、代わってエンポが脚本も演出も行うことに決まって紆余曲折。そもそも高校時代からシーナの才能にずっと引っ張ってこられたエンポは、自分に自信がまるでなく、才能が無いとも自覚していて自分ひとりで踏み出すことにためらいがあった。前に演出した芝居がとことんまで酷評されたことも、エンポの迷いに拍車をかけていた。

 そこに、不評だったエンポの芝居を前に見たとことがあって、それが興味深かったからこそオーディションを受けたんだという金星人の不思議な励ましがあって、エンポはどうにか踏み出す決心をする。前に舞台を手伝ってあげた小劇団がその後解散して、その主宰の人が移った先で人気劇団の副代表をやっていて、彼女もエンポのことを激しく尊敬していて、舞台の設営などを手伝ってくれることになって、人手不足もどうにか解消される。それでもさらに。

 哀しい離別があったりと壁は次から次へと現れる。ひとつ乗り越えたら次にさらなる大きな壁が立ちふさがって、エンポや劇団員たちを戸惑わせる。本当に舞台の幕は開くのか。そしてその先は。スリリングな展開が舞っていて、それを追ううちに道に迷い今に身を沈めて諦めようと思いがちな心が、何とはなしに晴れて意欲が沸いてくる。

 演劇に携わっていたこともある高村透ならではの、文字通りの演劇の舞台裏を見せてくれる物語。演技に迷う女優がいて、才能に悩む青年がいて、スランプに直面してあがく青年もいて、道に迷い諦めてしまう青年もいてと、様々な人生がそこに描かれていて、演劇というものに取り組むことの大変さを見せてくれる。

 その上で、誰もが少しずつ持っているやる気なり、才能なりが重なったり関係し会ったりしてどうにかこうにか回っていくことで、ひとつの舞台が出来上がって幕も開き、そして皆の明日が開けていく。そんな展開が、苦労に直面してもそれを突破しようと言う勇気を与えてくれる。残念にもひとり、諦めて道を外れてしまった青年がいたけれど、それもエンポたちの支えになっていると信じたい。そうでなければ救われない。

 タイトルになっている金星人が、主役というよりどこか脇でサポート役めいた存在になっていて、もっと際だつかと思ったらそうはならず、最後の最後で弱さも見せてしまっているところが、キャラの配置として妥当なのかと悩む。もっとも、これは彼女の物語ではなくエンポの物語。あるいは演劇というフィールドに生きる大勢のための物語。そう思えば群像の1人として受け入れ、総体としての展開を楽しんでいける。

 エンポだって無才な訳ではない。地球座という小劇団で主宰をしていた女性のエンポへの惚れ込み様が読んでいて微笑ましい。1人の才能ある人間を、それだけ納得させられるくらいにエンポには才能があるのだ。それなおにどうして自信を持てないのか。そういうものなのか、人間は。だから読んでもっと自分に自身を持とう。たとえ一瞬でも。余韻が残っている間だけでも。


積ん読パラダイスへ戻る