きみのためにできること
Peace of Mind

 顔も知らない2人の男女が、パソコン通信上で出会って会話するようになり、やがて結ばれるっていうストーリー。「パソ婚物」とか「ネット婚物」なんて呼ばれているけど、ネットワーク時代に相応しいラブ・ストーリーだからなのか、最近、小説やノンフィクションや映画なんかで、よくお目にかかるようになった。

 けれども、深くつき合っていた2人が、進学や就職なんかで離ればなれになったあと、電子メールで頻繁にコミュニケーションを取っていたのに、直に合えないもどかしさからか、言葉や感情にズレが生じて来てしまい、やがて心が離れてしまうってストーリーには、なかなかお目にかかれない。インターネットやテレビ会議の効用がしきりに説かれ、ヴァーチャルなコミュニケーションが妙にもてはやされてる状況下では、直接会って話すことの大切さを強調するなんて、トレンディじゃないって思われているからなのかもしれない。

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 南洋の島を舞台にして、傷ついた少女の回復への苦難に満ちた道程を描いた「青のフェルマータ」(集英社)から、ほぼ1年ぶりになる村山由佳の小説「きみのためにできること」(集英社)は、学校を卒業して、1人は東京、1人は木更津と離ればなれになってしまった、2人の恋人たちが登場する。

 主人公の男の子、高瀬俊太郎は高校を卒業して進んだ専門学校を出たあとに、テレビ番組の制作プロダクションに就職して、新米音声マンとして全国を飛び回っている。高校時代に映画部員として作ったドキュメンタリーが、ちょっとしたコンクールで佳作となったのがそもそもの始まり。コンクールの授賞式で賞を手渡してくれた、ハリウッドで音響のスペシャリストとして成功していたキジマ・タカフミの1言が、俊太郎に音声マンへの道を選ばせた。

 いっぽうの彼女、俊太郎にピノコと呼ばれてる秋本日奈子は、高校を卒業してから地元の印刷会社に就職した。俊太郎とはつき合い初めて5年。作り酒屋の娘で、下には妹が1人だけという立場では、親元を離れて、東京に出るって訳にもなかなかいかない。東京と木更津だから、ときどき会って話をしていたようだけど、毎日会うには東京と木更津では距離がある。電話も込み入った話だと長くなる。そんな時、手紙のように長く込み入った文章を、一瞬でに相手に遅れる電子メールの使い方を覚えて、2人はメールのやりとりをするようになった。

 最初のうちは、毎日のようにメールをやりとりしていた2人だったけど、俊太郎の仕事が忙しくなると、メールを出すのが2日にいっぺんとか、1週間にいっぺんとかになってしまった。昔だったら接続を切るのももどかしく、一生懸命返事を書いていたものが、ざっと読み流してそれでおしまい、返事は明日でいいやなんて後回しにして、結局送らなかったりするという、そんな間柄になってしまった。

 そして新たな事件が2人の前に持ち上がる。1つは俊太郎がスタッフとして参加した紀行番組のリポーター、鏡耀子の大人の魅力に、俊太郎が惹かれてしまったこと。そしてもう1つは、ピノコの母親が倒れて、家の跡継ぎのことでピノコにプレッシャーがかかるようになったこと。弱気を見せて、すがるようなピノコのメールが届くようになったけど、未来への希望と作り酒屋への婿入りを天秤にかけると、「待っててくれ」とか「いつかきっと」なんて安心させるような言葉を、俊太郎はピノコに返すことができなかった。

 そして鏡耀子のことも、俊太郎の心を逡巡させた。番組のロケで同行した西表島で、俊太郎が鏡耀子に自分のメールのID番号を教えてしまったところ、どうしてか鏡耀子が、俊太郎にメールを送ってくるようになった。それは俊太郎が憧れるキジマ・タカフミとの不倫関係を告解する内容で、ピノコとのズレに悩んでいた俊太郎を、深く濃密な世界へと、次第に引きずり込んでいった。

 鏡耀子に惹かれる気持ちを抱きながらも、何かをしてあげたいと思わせる鏡耀子と、何かをしてもらいたいと思わせるピノコとの違いが、俊太郎を木更津のピノコのもとへと走らせる。「きみのためにできること」を、ひとつづつでも増やしていこうと心に決めた俊太郎を、果たしてピノコが受け入れてくれるかどうか解らないまま、静かにフェイドアウトしていくラストシーンのその先は。ちょっぴりご都合主義的な男心をどう思うのかを、この小説を読み終えた女性に、是非とも聞いてみたい気がしてる。
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 電子メールが俊太郎とピノコの心のズレを広げた訳では決してないけど、電子メールが離ればなれになってしまった2人の心を、再び結び続ける力にならなかったのもまた事実。亀裂の決定打となったのが、鏡耀子に送るはずだったメールを、間違えてピノコのIDに送ってしまったからだったというのは、気を付けてさえいれば滅多に起こらない間違いだけど、いつかは起こる可能性もあるという、電子メールのデメリットを指摘していると言えなくもない。

 もっとも「きみのためにできること」は、電子メールのメリットとかデメリットとかを露にしようといった目的で書かれた小説ではない。そこにはマルチメディア時代のコミュニケーションツールとして、電子メールを礼賛しようといった姿勢はかけらもないし、電子メールというコミュニケーション手段で、直裁的な物言いに起因した行き違いがよく起こることを非難しようともしていない。

 ちょっとした心の行き違いが、望むと望まざるとに関わらず、次第に大きくなってしまうことの不幸や、それを修復しようと懸命に走り回る人たちの頑張りなんかを描く手段として、電子メールというコミュニケーション・ツールが用いられているに過ぎない。とかくマルチメディア礼賛の世の中にあって、ニュートラルな視点で新しいツールを見つめて、物語に取り込んだ村山由佳の巧みさには、素直に拍手を送りたい。




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