君がいる風景

 突然に降り懸かった災難を苦労の果てに乗り越えて幸福を掴む。聞くほどに陳腐過ぎて今さら読んでも欠伸しか出そうもないストーリーだけど、それでも実際に読んでしまうと、そこから得られる感動に涙してしまうことが割とある。陳腐なのはそれだけ何度も繰り返されたということで、つまりは何度でも繰り返したくなるくらいの魅力がそこにあるということ。だからこその感動となる訳だ。

 王道にして予定調和だからこ喚起されるストレートな感動。それがピタリとあてはまる小説が、平谷美樹の「君がいる風景」(朝日ソノラマ、495円)。まだ15歳の中学生だった頃、あることがきっかけとなって死んでしまった同級生の美鈴という少女を過去に戻って助けたいと願う25歳になった3人の青年たちが、卒業した学校に残る伝説を使って願い事をかなえようとする場面から物語は幕を開ける。

 どういう仕組みかはともかく、3人のうちの今は医者の卵として研修中の身にある高村哲哉だけが、ひとり15歳だった頃の自分の中へと意識をスリップさせることに成功する。ところが意識を過去へと戻す過程で、当の美鈴がいつ、どんな状況で死んでしまうことになるのかという、肝心な部分の記憶が欠落してしまった。

 何をどうすれば美幸を救えるのかわからず焦る哲哉は、ただ「美幸が中学三年の夏に死んでしまう」という記憶だけを頼りに、いっしょに過去へと戻ろうとするくらい関わりの深かった別の2人に自分のことを打ち明け、協力を仰いで何とかして美幸を救おうと奮闘する。ひとつ山が過ぎ、ふたつ谷を越えても美鈴が死ぬような事態が起こらないことに、本当に美鈴が死んでしまったという未来を知らない同級生2人は訝り、哲哉自身も戸惑う。けれども着実に”その時”は近づいていて、哲哉たちに決断を迫るのだった。

 いつか何かが起こると感じてはいても、いつ何が起こるかまでは分からないもどかしさの中で、それでも懸命に頑張る展開は、先に靄がかかったよう不安感を読む方にも与えてくれて、先へ先へとページを繰らせる。過去のいつに何が起こるのかが完璧に分かっていて、先手を打って行動する「リプレイ」なり「夏への扉」のようなタイムスリップ・ファンタジーの、悔やんでも悔やみきれない過去の失敗が払拭されて、溜飲が下がる感触とはまた違った、物語を追う興奮を与えてくれる。その点で「君がいる風景」は、王道の本戦を完璧に踏まえた作品群とは一線を画す、新しいバリエーションのタイムスリップ・ファンタジーとも言える。

 そしてクライマックス。だからそうだったのかという、後に大きく意味を持つ伏線に気づかされて、なるほどという感嘆に浸らされる。多少はあからさまではあるけれど、ここに関してはハッピーエンドのストーリーの王道にして予定調和だからこそ得られる感動に、「良かったなあ」という喜びが浮かび上がって胸が熱くな。

 過去なんていくらだって変えられるというオールドファッションなタイムスリップ物から転じて、今は過去は決して変えられないという命題をまず置き、それをどう乗り越えるのかといった部分を描いてこそのタイムスリップ物といえないこともない。ただ、これから読書に親しもうという世代の人たちに、意外なシチュエーションから最大規模の感動を得てもらうことを意図とする小説なのだと「君がいる風景」を位置付ければ、無理か無理でないかといった議論を大人がするのは野暮というもの。王道で、予定調和のスタイルも感動をストレートに伝える役に立つ。

 人を救いたいという気持ちを持つこと、そのためには何をすればいいのかを考えること、将来は自分の望む方向には進まない可能性があること、けれども可能性は可能性であって頑張れば変えられること。そんなことを感じさせることが出来れば、「君がいる風景」は充分にジュブナイルとしての役割を果たしている。ひとつ問題がるとすれば、そういったピュアな感動をストレートに得られる世代に中学生が当てはまるのかという点。可能ならば小学校でも中級あたりの世代に読んで、素直にメッセージを受け止めてもらいたいものだが、このパッケージでは難しいのだろうか、どうだろうか。


積ん読パラダイスへ戻る