ナース
衛生兵歩兵

 書いたのが予備自衛官の篠山半太という人で、そして付けられタイトルが「君が衛生兵(ナース)で歩兵が俺で」(PHPスマッシュ文庫、686円)といった具合に、いかにもな作者といかにもなタイトルの組み合わせから、てっきり架空の軍隊を舞台に、若い少年兵が美少女の衛生兵とイチャイチャするような、萌え系ミリタリーラブコメかと、誰もが受け止めてしまいがちだ。

 ところが、読み始めるとこれがどうして、ハードでシリアスでポリティカル。日本の自衛隊というものが置かれた複雑で曖昧な立場について論じられ、それをどうにかしてしまうようなイベントが繰り広げられては、挫折があり、決起があって敗北があり、そして再起へ向かうといった展開の中に、軍隊ではない軍隊としての自衛隊が持っている意味、持たされている役目が綴られる。

 そう聞くと、今度は憲法九条というものが自衛隊の行動を縛り、日陰の身へと追いやっていることへの懐疑とか、それらをぶちこわして旧軍的なものを復活させようとする動きとかを絡めて、国威の発揚といったものが高らかに語られてしまっているのかと思われそう。いわゆる右翼的、軍国的な。

 そう受け止められそうなニュアンスを、確かにこの「君が衛生兵で歩兵が俺で」は持っているけれど、日本を震撼させた騒乱が終わって浮かび上がる風景の中で、自衛隊が軍隊ではなく今の自衛隊の状態であるからこそ、日本はどこかに攻め入ることはせずに済み、どこからか攻められることもないまま、何十年と平和を享受して来られたんだという論も繰り出される。

 つまりは一度、自衛隊というものの軍隊としての可能性を大きく浮かび上がらせ、彼らに体制をひっくり返すような行動を起こさせることによって、自衛隊というものが持つポテンシャルを世の中に示そうとしたのかもしれない。それが鎮圧されていく様も見せるこによって、この国の、この平和が自衛隊によって護られたものだということを、国民に再確認させようとして、ある人物が図ったのかもしれない。単なる瞬間の決起に留まらない思慮遠望が、そこにはあったのかもしれない。

 そんな深慮遠謀を巡らせた者こそが繭川巴。国社党の党首にして内閣では防衛大臣を務め、そして陸上自衛隊少年工科学校が改組された武山高校の校長でもある彼女は、イラクでPKO部隊を指揮している最中に、部下がゲリラの攻撃を受けながらも、反撃の指令を縛られ結果的に部下を死なせてしまい、なおかつそれを事故死とされたことへの憤りを心に刻み、自衛隊の特異な立場と、それを曖昧なままにしている国体への反意を、心の奥に燃やし続けていた。

 やがて除隊し、政治家となって活躍し、防衛大臣となって総理、官房長官に続く序列3位となったこの時に、秘めていた怒りを一気に燃焼させる。テロ組織の攻撃によって総理と官房長官が死んだのをこれ幸いと、総理代行に就任して自衛隊に治安出動を命じて、国の中枢を占拠する。それは実質的なクーデーター。とはいえ軍事政権の樹立といった挙には出ず、与党も野党も含めて国会議員たちを銃器で脅しながらも、議会制民主主義は守り、憲法九条の改正を掲げて総選挙へと打って出る。

 そこで圧倒的な支持を受けたたこというと……といったところが、過去にあった自衛隊によるクーデーターの可能性を描いた、サスペンスフルでポリティカルな小説やアニメーションや漫画との違い。自衛隊の権威を取り戻し、東アジア諸国からのプレッシャーに挑みかかり、そしてことあれば討って出ることも当然といった勇猛なマインドを、認めて称揚するような作品ではないということを示している。

 繭山校長に率いられ、決起する武山高校の生徒たち中にも、自衛隊は自衛隊だからこそ良いのだという意見を持った生徒を混ぜ入れて、その意見を尊重させているし、民族の違いを前面に打ち立てて誹るような差別は、絶対に認めないといった見解を、繭山の言葉を通して打ち出している。

 一方で、日本国民とは日本国籍を持ったものであるという厳然とした線引きも行って、外国人には参政権は認めないと断じてみたりと論旨は明解。不安に怯えた人たちが、誰かを下に見て、安心しようとする時に浮かびがちな、陰湿で陰惨な空気が漂わず、カラリとしている。

 ともかくも、とてつもなく魅力的な繭川巴というキャラクター。主人公で、歩兵というより繭川巴の親衛隊として活躍する大嶽隼人という少年や、彼の同級生で、美貌も知能も完璧な衛生兵の礒鷲音矢という少女を前に、リヤカーから糧食のカンパンを抜き出し、ポケットにいれてガメようとして咎められ、「やっぱりマズいですか?」と言っておあずけを食らった子犬のような目をして、隼人の心を揺さぶったりしたと思えば、国会では堂々の答弁に立ち、それ以上に銃砲を効果的に使って政敵、論敵をねじ伏せる。

 けれども、選挙という神託を受けた後では、結果をしっかりと受け止め、自ら決断するという潔さを見せる。浅葱色のアンダーウェアが、チラリと見られるその場面は是非にアニメーションで見たいもの。あるいは実写のドラマで見たいものだけれど、おそらくは映像化はされないだろう。血とか噴き出るし、腸とかはみ出るし。

 その鮮やかすぎて潔すぎる生き様は、けれども強引さに欠け、結果的には敗北したものとして、右に激しく振れたい層にはあまり支持されないのだろう。それも本望、左も右も認めないと訴えたのが、誰だろう繭川巴ったのだから。ともあれ、いろいろと物議をかもし、論議を巻き起こしそうな1冊。読んで考えよう、自衛隊をどうするかを、この国がどうなるかを。ライトノベルの可能性を。


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