かりそめエマノン

 「君に会うために僕は生まれて来たんだ」なんて、生きているうちに1度はいってみたいセリフだけど(1度で充分じゃないかという声は無視)、残念なことにと、というよりは自業自得ともいえる臆病さ、慎重さ、自意識の過剰さが邪魔をして、そんなセリフを口にする機会の今まで訪れたことなどなかった。

 「君に会うためだけに僕は生まれて来たんだ」ではないから、会う人会う人のすべてにいっても嘘ではないし厭がられもしないとは思うけど、現実問題この世の中、運命だ宿命だなんて外部的な要素でもって回るほど厳密なものではないらしく、何かをするための生なんてものは、思いこみによる主観ならともかく客観的には存在していない。

 あえていうなら「死ぬために生まれて来た」というのが、生物学的には正しい表現かもしれない。けれどもだったらそもそも「生」とは何なのか、という疑問が巻き起こる。そしてこの疑問には過去現在そして未来にわたる宗教科学文学哲学の英知が挑んでも、明解な答えは出せそうもない。

 「僕が生まれて来たから君に会えたんだ」あたりで妥協しておくのが、良識的には正しいし振る舞いかもしれないし、これなら他人の運命を押しつけられて嫌な思いをする被害者も出さずにすむ。不満があるなら心の中でだけそっと、「君のために生まれて来た」とでも思えばいい。これなら迷惑はかからないし、幸運にもナノレベルの可能性でもあったら、思いが主観的にも客観的にも真実になる日が来るかもしれない。

 「何のために生きるのか」「誰のために生きるのか」を悩み続けている人間から見ると、目的を持って生まれてきた人間はとてもうらやましい。「おもいでエマノン」に始まった梶尾真治の「エマノン・シリーズ」に登場する少女・エマノンは、30数億年も前からの記憶を1身に受け継ぎ、それを娘に伝えるために生きている。

 ふだんは世界を放浪している「エマノン」は、ときどき人の生活と交わっては、蓄積された記憶のひとしずくを垂らして人に希望を与えたり、未来を夢見させたりする。たとえ他人から、もしかすると創造主から押しつけられた目的かもしれないけれど、意識を持った瞬間からすべてを理解してしまう「エマノン」にとってそれは使命であり運命。迷うことなく記憶を娘へと伝えて死んでいけるだろう。

 そんな「エマノン」は良い。「かりそめエマノン」(徳間書店、476円)ある世代の「エマノン」の双子の兄として生まれた拓麻に、天地開闢以来の記憶はなかった。孤児院に預けられ、そこから養父と養母に引き取られて幸せに育った彼は、生まれてから見たもの聞いたことのすべてを記憶する能力があり、学力も知力も人なみ以上のものを持ち、未来をのぞき見る血からも持っていた。けれども生まれ落ちてすぐの記憶、誰か少女と手を握っていたという記憶が頭から離れず、やがて妹がいたということを知り、知力を駆使して株で儲けた金を使い、伝を頼ってようやく妹を見つけ出す。

 そこで知った妹の秘密。記憶を受け継ぐ存在「エマノン」だったという衝撃的な事実を知って、拓麻は激しく悩む。妹には生きる目的がある。けれども自分は何のために生まれて来たのか。本当だったら絶対に生まれない「エマノン」の兄弟として、自分が生まれて来た理由は一体何なのか。激しいショックのうちに拓麻は友人と経営していた会社に足を運ぶことを止め、友人の前からも姿を消して放浪の旅へと出かける。

 やがて訪れる危機。「エマノン」のみならず全人類を巻き込もうとしている恐怖を前に、拓麻は自分の生まれてきた訳を知る。目的を見出した人生の素晴らしさにエネルギーを取り戻していく拓麻の姿を、どうしてうらやましく思えずにおかれよう。ひるがえって我が身、我が人生の目的はいったい何なのか。年少者だったら果てしなく続く未来を迷いながらに生きる戦慄に身をすくませ、年配者だったらこれまでやって来たことの無為に嘆息し、絶望の中に身を縮ませたくなる。

 なるほど拓麻には運命があった。宿命があった。けれどもそれは「エマノン」の兄だったからであり、「エマノン・シリーズ」の登場人物だったからに他ならない。現実に生きる多くの、大勢の人は残念ながら「エマノン・シリーズ」の主人公でもなければ登場人物ですらない。

 それでもこれだけは言える。あなたたち、わたしたちは「エマノン・シリーズ」の、「かりそめエマノン」の読者であり、そこで繰り広げられた目的を探して迷う苦しみ、目的を見つけて喜ぶ素晴らしさを知っている。ならば始めるしかない。自分で運命を探し、自分で宿命を見つけるしかない。

 「人は死ぬために生まれて来る」なんてことは絶対にない。「人は生きたからこそ死ぬ」のだ。この世界に30数億年の記憶を持った「エマノン」はいない。けれども30数億年の記憶を世代を通じて渡すことはできる。そのためには生きるしかない。生きて記憶を手渡ししていくしかない。生きて、生きて生き抜いてこそ人は死ぬことを許される。生きるためにこそ生きよう。すべての可能性はそこから生まれる。


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