かむさり
神去なあなあ日常

 森から遠く離れた都会にすら、大量の花粉が降り注いでは大勢の鼻をぐずらせ、目尻をひりつかせている今日このごろ。その大元である杉の木を森に暮らして山に植え、育て切り運ぶ林業従事者たちは、さぞや春先は大変なのだろうといった疑問が浮かぶ。

 その一方で、外洋を航海するタンカーの船長や、波の立つ沖合へとこぎ出し網を投げる漁師が、いちいち船酔いしていたら仕事にならないじゃないか、それと同じで木こりも花粉症にはならないんじゃないのか、といった理屈も浮かんで頭を悩ませる。

 果たして林業家たちは花粉症になっているのか。毎春を涙と鼻水にのたうちまわりながら杉の手入れに勤しんでいるのか。そんな疑問にあっさりと答えてくれたのが、三浦しをんの「神去なあなあ日常」(徳間書店、1500円)という小説。読むと山に長く暮らす男たちであっても、ご多分に漏れず春先には花粉に悩み、苦しみ、もだえながらそれでも仕事に打ち込んでいるのだと分かる。

 そんなまさか。都会に暮らして花粉症に悩んでいる作家が、その感覚の延長で春には花粉症という“常識”を敷衍させただけに過ぎないのではないか。そう思いたくなって当然かもしれないが、しかしそこに描かれた林業家たちの仕事ぶりに暮らしぶりの、実に生き生きとしてリアルな様に触れたなら、花粉症だってリアルな出来事なのだと誰でも納得できるだろう。

 都会で高校を卒業したものの大学には行かず、かといって就職先も探そうとせず、そのままフリーターになるんだろうなと思っていた高校生の平野勇気。ところが、そのまま家に居着かれてはたまらないと考えた親の、だまし討ちにも似た仕打ちによって、次代の林業家を育成する政府の「緑の雇用」制度に乗せられ、三重県だかの山奥にある神去村へと放り込まれて、林業家の下で働く羽目となる。

 断ろうにも村には政府から、育成のために助成金が300万円ばかり支払われることになっていて、断ろうにもいささか良心がとがめ立てしてしまって言い出せない。また、都会の喧噪とは正反対で、一切の娯楽なんてない村の暮らしに飽き飽きし、逃げ出そうと画策したものの、駅へと向かう足がなく、列車に乗る金もないから逃げ出せない。

 何より居候している家のヨキこと飯田与喜という男が、金髪で筋骨隆々とした体力バカ。逃げても追い付かれて連れ戻される。会った早々に携帯電話の電池を抜かれ、棄てられ友人たちにも連絡がとれない四面楚歌の中、勇気はいやいやながらも林業の仕事を始め、そして知らずだんだんとその仕事に打ち込んでいくようになる。

 農林水産業を行っている集落へと放り込まれるという展開が、昨今の若者やリタイアした層に見られる“農林水産回帰”の動きを、見事に捉えた題材としてとても巧いし、そこに描かれている、林業に勤まざるを得なくなった少年の、日々に苦労しながらもだんだんと仕事の面白さを覚え、コミュニティに溶け込んでいく心地良さを感じていく展開も、やはり巧い。

 濃密過ぎて積極的すぎるが故に、時には鬱陶しく感じることもある田舎のコミュニケーション。けれども、それに慣れてしまうと、そこから離れてしまうのが何だかとっても寂しくなるのだろう。一所懸命に仕事をして、すっかりとけ込んだようでも、村で最大の神事が行われる際に、余所者だからと排除されようとして浮かぶ寂寥感。覚えた勇気を通じて伝わってくるその感情を実際に味わったとしたら、果たしてどれくらい心に堪えるのだろうか。

 幸いにして勇気の場合、発生した山火事への献身的な取り組みが、一種の通過儀礼として働いて、村に認められていくようになっていく。そんな過程を読むと、今の都会でひとり寂しく生きている身を投げ出して、農家や林業家や漁業家のところに飛び込んでいき、何も考えないで体を動かし、得られる収穫とそして仲間の承認に、身と心を委ねてみたくなる。

 それは逃げだ、都会で成功できなかった自分を偽りたいだけだと言われれば、なるほどそういった側面もあるかもしれない。とはいえ、一方に林業なり農業なりに従事する人を求めている集落も、現実の社会に存在している。そこに請われて出向き、自らとけ込んでいき共に成長していくことは、決して逃げではない。うまくいけば都会でも得られなかった出会いがあるかもしれないのだし。

 読めば林業を志してみたくなる物語。途中に幼い少年が巻き込まれる神隠しがあり、またスピリチュアルな事件も起こったりしてと、ファンタジックな要素もあったりする。それが本編のリアル感を損なうことはなく、むしろそうした場所だからこそ起こり得る不思議な現象なのかもしれないと納得できる。自然に囲まれ自然を神として意識していた日本人にとって、山で起こる不思議もまた、山のリアルにほかならないのだから。

 山は男の職場であって、女は黙ってついて来い、といったマッチョな雰囲気もなくもないが、男たちを時に支え、時に導く重要な役割を、女たちは確実に担っている。山ではともに恰好良く、そしてともに潔い。そう見ればどちらがどうだといった反感は浮かばない。

 それにしても、どうしてここまで林業について書き込めたのかと、作者の三浦しをんに驚嘆。文楽のように都会の劇場でながめ、映像を観賞して済む題材では決してなく、何度も足を運び関係者の話を聞いてこそ成り立つ題材だ。たっぷりの取材を行ったのだろう。果たして花粉症は大丈夫だったのか。そこを誰か、たずねてやって欲しいものだ。


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