陰からマモル!


 ネクラな奴っていうイメージが定着して、何をやっても笑われてしまう日々に反抗する気もなくして、休み時間ともなれば机に突っ伏して居眠りをし、昼休みは図書館で本を読む日々を続けた中学校生活とは、高校進学とともに終わりを告げてさあこれでイメチェンをして一気に明るい奴、剽軽な奴としてキャアキャア言われまくるぞと意気込んではみたものの、中学校でネクラだったのは性格にそれなりの理由があったからで、進学して学校が変わったからといって、一朝一夕に性格までもが変われるはずもない。

 どうなったかというと、1週間ばかりで以前と同様、休み時間は机で居眠り、昼休みは図書館で、授業が終わったら速攻で帰って本とテレビにしがみつく、それまでと変わらない毎日が繰り返されることになったという、そんな悲しくも間抜けな誰かさんの経験をふまえた上で考えるなら、中学時代に三枚目のオモロイ奴と男子生徒たちから圧倒的な支持を受けてはいた奴が、せてめ1度くらいは二枚目的なところものぞかせて、男たちだけじゃなく美少女たちからもモテモテになってやりたいと、思ったところでベースはやっぱり三枚目、無理をしたってすぐに地が出てばれてしまい、男からは爆笑され、女からは冷笑される日々に逆戻りしまうのがオチだろう。

 だったら最初から三枚目を貫き通してやると、そんなことを考えに入れたのかどうかは分からないけれど、デビューしてからこのかた何十冊もの本を刊行してきた出版社から河岸を変え、別の出版社で初めて出した小説でも、以前とイメージを変えるどころかまるで変わらずむしろ輪をかけたスチャラカぶりを、発揮している阿智太郎のスタンスには、ただひたすらに頭が下がる。メディアファクトリーでの初作品「陰からマモル!」(580円)からは、女にモテようなんて土台無理、だったら最初から男たちの笑いを取ろうと開き直ったか、イメチェンなんて考える余地のないくらい、根っからのスチャラカ野郎なんだってことを、読んだ人はきっとたいてい感じるはずだ。

 話はまずは戦国時代の大昔、おいしいこんにゃくを作る家を子々孫々まで守れとこんにゃく好きの殿様に命じられた忍者がいたことに端を発する。そして400年が経過した現在も、おいしいこんにゃくを作っていた紺若家の子孫一家を、忍者は陰になって守り続けている、というのがおよそだいたいの「陰からマモル!」の設定になる。そんな”いかにも”阿智太郎と言えそうな設定も設定なら、底抜けに脱線していく展開もやっぱりもって阿智太郎。紺若家の娘のゆうながピンチになった時、お隣に住んでいる幼なじみでいつもゆうなの周囲に見え隠れしていた陰守マモルの姿がふっと消え、代わって忍者姿の男が現れ叫ぶ。必ず叫ぶ。


 「おとなりを まもり続けて 400年」。


 ゆうなを襲っていた勢力はその得体のしれない恰好にも驚いてかならず聞く。「誰だおまえは」。マモルの代わりに出てきた忍者は言い返す。必ず言い返す。


 「陰に名前などない!」。


 そんな決まり文句を何倍角もの太明朝文字で叫びながら、ゆうなのピンチになると現れそれもマモルの代わりの少年忍者1人じゃなく、父親らしい男がいて母親らしいくのいちがいて、といった具合に忍者が一家総出で犬まで連れて現れて、「おとなりを」「まもり続けて」「400年」をハーモニーでもって叫び紺若家をピンチから救う(だけ)という、「陰からマモル!」の物語から放たれる、パターンにハマっているからこそ覚える納得づくの高揚感はただひたすらに心地良い。どこに河岸を変えても阿智太郎は阿智太郎、衰えを知らないスチャラカぶりをいかんなく見せつける姿に、誰もがこれを世界遺産と認め護り続けたくなるだろう。

 紺若ゆうなと陰守一家を襲う刺客たちのスチャラカぶりもこの「陰からマモル!」の楽しみどころ。コブラにダチョウにスカンクにゴリラにイリエワニといった動物たちを使って敵を暗殺する「毛田桃王国動物園」の面々の、ぶつかっていっては「ちゅどーん」といった擬音が聞こえてきそうな有様で玉砕に次ぐ玉砕を繰り返す姿はひたすらに可笑しくって泣けてくる。みんな間抜けだなあ。半ば騙される形で駆り出された剣の達人で、代々受け継いだ斬鉄剣、ではなく斬瀬羅満狗剣(ざんせらみつくけん)を振り回す袴姿の美少女、真双津椿の可憐で悲惨な様といったら。テニス部で早口言葉の練習はやらないぞ。

 そんなひと癖もふた癖もある輩が周囲をぐるりと固めた中で、我関せずとお嬢様をしているゆうなの鈍感ぶりと、彼女を守ってこれからきっと何十年かを過ごすマモルとの間に果たしてこれからどんなドラマが生まれるのか、はたまたまるでドラマは芽生えず生涯をひたすたに「おとなりを」「まもり続けて」「400年、ゲホゲホ」と爺さんになっても叫び続けるのか。メディアワークスでは早シリーズ化され快調な「いつでもどこでも忍2ニンジャ」とはまた違う、けれども土台のスチャラカぶりでは勝らずとも劣らないシリーズとして、続々と続刊が出るだろうことを願いつつ先行きを見ていきたい。23世紀になって場所をアンドロメダの彼方に変えても、続けられそうな話だし。


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