KADOKAWAのメディアミックス全史
サブカルチャーの創造と発展

 すごい本が出た。ただし非売品。その名も「KADOKAWAのメディアミックス全史 サブカルチャーの創造と発展」(KADOKAWA、非売品)は、メディアワークスや角川グループホールディングス、そしてドワンゴと合併したKADOKAWA・DWANGOで社長を務めた佐藤辰男が取りまとめた、KADOKAWAの1980年代以降のメディアミックス関連事業をまとめた社史だ。

 当事者だけあってメディアワークス創業の頃、すなわち“お家騒動”と呼ばれる角川春樹による角川歴彦の追放から、編集スタッフの大量移籍とそれに伴う作家の移動、そして歴彦復帰に伴うメディアワークスの立場の変遷など、極めて詳しい記録が著述されている。それだけでも本にできそうだけれどここでは触れない。

 紹介するのは、タイトルにあるようにサブカルチャーやメディアミックスの変遷。「コンプティーク」創刊に携わり電撃文庫をもり立て今のKADOKAWAグループ隆昌の基礎を作った人間による同時代的証言に、資料的論証が合わさってこの30年ほどの文化景色が映し出される。読めばKADOKAWA周りに限らず日本のサブカルチャーが、メディアミックスによってどのように進展してきたかを俯瞰できる。

 たとえば、「ケロロ軍曹」という作品に関して、こんな記述がある。「ケロロ軍曹」といえば漫画から始まってテレビアニメ化されて大人気になり、ひところはイベントがあれば着ぐるみが出動するくらいに一押しのキャラクターになっていた。KADOKAWAといえばハルヒにケロロといった印象すらあったにも関わらず、2020年代に入った今はアニメも放送されておらず、子供たちに大人気といった雰囲気もない。

 これについて本書は、角川書店で社長を務めた井上伸一郎の「キッズアニメを支えるのは商品化だと思い知った」という述懐を交えて現状を憂いている。

 キッズ・ファミリーアニメは「長期のコミック連載とテレビアニメ放映で人気を蓄え、商品化で刈り取る辛抱のいるビジネススキームだ。原作元の出版社とマーチャンダイジングを展開するおもちゃ会社が出版と商品化を継続し、莫大な放送料を支払い続けることで人気を支える必要があるが…」書き、続けて「三年目から商品化の企画が途絶え、キッズへの訴求が弱くなっていた」ことが、アニメ映画の興行をスポイルしてシリーズの継続を見送らせたと指摘する。

 「ケロロ軍曹」については、劇場版では最後になった第5作目「超劇場版ケロロ軍曹 誕生!究極ケロロ奇跡の時空島であります!!」の公開時に、佐藤順一監督にインタビューしたことがあって、そこで佐藤監督から「世界観が難しくなっているから、下があまり入って来にくいかもしれない」といった話を聞いていた。「循環させるには、もう少し年齢を引き下げるようにした方が良いかもしれない」。キッズ層へと働きかける重要性に気づいていた。

 ただ「『ケロロ』が難しいのは、ファンタジーに立脚している作品だから、『クレヨンしんちゃん』とか『サザエさん』のような領域に入り込めないこと。幼稚園児の日常とか、磯野さんちの人々みたいなことをやろうとすると難しい。『ケロロ』なりの日常感を追求していかないといけない時なのかもしれない」と佐藤監督。「『ドラえもん』とか『オバケのQ太郎』のような愉快な居候物のラインで、もう少し日常感を益す。寿命を延ばすならそちらの方向を考えることもあるのかなと、個人的には思っていいる」

 ただ「『ケロロ』は侵略物で宇宙人なので、町の人たちとケロロとのコンタクトを想定していない。八百屋肉屋に行くようなことが想定されていない。そこが藤子作品とは違う。藤子は何食わぬ顔で、オバケとか何かが日常にいる世界を描いた」。そこまで振り切れなかったのは、ある種のオタクとしての突拍子の無さが「ケロロ軍曹」の魅力であって、日常に埋没させるのが難しかったからかもしれない。

 結果的に興行は延びず、2011年にはテレビアニメも終わってしまって、そこでキッズへの訴求が途切れてしまった印象だ。「数字だけ追っていると、ケロロのロイヤリティ収入は増え続けていたので油断があった。売り上げの中身だけ見れば、三年目からはマクドナルドのハッピーセットの版権収入」が大きかったと井上。よくよく見ると「玩具の新製品の発売は減少していた」。

 興味深いのは、「本格的なキッズ向け”おもちゃ”が必要だった、と井上は悔やんだ」とまで書いて、戦略的なミスがあったことを明らかにしていること。社史といえば失敗を多い成功を並べ立てて会社の歴史を飾ろうとするものだが、失敗した事業も事細かに拾うことで次代の糧にしようとするスタンスがうかがえる。その分だけ資料的、そして史料的な価値は高いと言える。

 自戒と希望をうかがわせる述懐を、現場の元最高責任者に語らせることは、佐藤辰男だからできたこと。他にも読めばいろいろと参考になりそうな記述が散見される。とドSFだった谷川流のスニーカー大賞大賞受賞作「涼宮ハルヒの憂鬱」を売り出すときに、SFとしてその面白さを早川書房のSFマガジン出身として知りつつも、より多くにアピールするためキャラを前面に打ち出した野崎岳彦の尽力などもそのひとつだ。

 野崎は「『ハルヒ主義』といい、『ハルヒだったらこうする、こう考える』というルールを作り」「マーケティングに徹底させた」と本書は書く。そしてアニメ・コミック事業部長となった井上と、次長の安田猛の下、「出版もアニメも同部署でコントロールできる仕組みになっていたので、綿密に原作サイドの編集部と、映像制作サイドのスタッフのすり合わせが可能と」なって、伊藤敦が「この「ハルヒ主義」をテレビアニメでも徹底した」ことがアニメの爆発的な人気を呼び、原作への関心を呼び込んで一大ムーブメントを作った。

 「ハルヒ」はラノベ人気の粗となり深夜アニメの起爆剤となり今に至るポップカルチャー大国・日本を形作った。そういった“歴史”にKADOKAWAがどのように関わったかが、本書では広く取り上げられている。アニメ史だけでなくライトノベル史的にも抑えておかなければいけない1冊だとも言える。それは角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫の誕生について触れられていることからも当然だが、詳細は省く。知りたければ本書を読んで……と言えないところが非売品故に難しいところ。重要性を鑑みて学術書として刊行されることを切に願う。


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