Just Because!

 観てから読むか、読んでから観るかはメディアミックス作品で必ず浮かぶ思いだけれど、「さくら荘のペットな彼女」シリーズの鴨志田一がシリーズ構成と脚本を手掛けたテレビアニメーション「Just Because!」と、同じく鴨志田一が書いた小説「Just Because!」(メディアワークス文庫、630円)の場合は、テレビアニメーションを観てから読んで欲しいと言っておきたい。

 群像劇として描かれている作品である以上、視点が登場する人物によって入れ替わって場面も飛ぶ。アニメーションならそうしたシーンをつないで複数の視点、複数の現場で進む物語を同時進行で描きながら、それらが関わり、重なり合って生まれる驚きであり、喜びといったものを、毎話のクライマックスとして提示できる。そして最後にもう1段の驚きを見せて次へとつなげる引きを加え、1週間後の放送を待ち遠しくさせられる。

 たとえば第1話の「On your marks!」。中学校の途中までいた街に、親の転勤で戻ってきた高校生の泉瑛太が、3年生の3学期だけ通うために高校へと出向く。副校長と転校の手続きについて話して、それから学校内を歩き回って見学していたところで、瑛太は校庭にいた相馬陽斗という、中学生でいっしょに野球部で活動していた男子と再会する。

 最初はクラスメートを誘ってバッティングをしてた陽斗が、ひとり残ってボール集めをしていたところに出くわした瑛太は、陽斗が願掛けといってホームランを打とうとしているのを投手として受けて立つ。出会いこそ偶然ではあるけれど劇的ではなく、流れとして割と自然にそうなってしまった感じなところが、異世界転移のような強引な舞台作りが隆盛を極めるライトノベル的なシーンの逆を行くところが、むしろ新鮮な印象を感じさせる。

 そこからアニメーションは、瑛太の高校最後の学期が、ただの消化試合の中に終わりそうもない雰囲気で進んでいくけれど、再会の中に進んでいきそうな雰囲気が浮かんでくる。こうした展開が小説版では主に瑛太の経験として綴られるけれど、アニメーションではその外側で進む描写が重なってくる。吹奏楽部で3年生ながらも後輩に校舎の渡り廊下でトランペットを教えていた森川葉月という女子が、途中から野球部の応援か何かで吹いた旋律を奏ではじめ、それに後輩達も乗ってきて、やがて他のセクションも音を重ねてきてちょっとした応援風景ができあがる。

 夏の高校野球で強豪校に挑み県大会で敗れて甲子園には行けず、良いところを見せられなかった陽斗へのせめてもの支援か? そんな2人に浮かびそうな関係といったものを想像させつつ、だんだんと盛り上がっていく雰囲気の中でひとつのクライマックスが訪れる。その先で転校してきた瑛太についても過去に関わりがありそうな夏目美緒という少女の名前が陽斗から告げられ、ハッとしたところでとりあえずの第1話終了となる。

 メインとなる登場人物をしっかりと示しつつ、もうひとり下級生で写真部に所属し、部員不足で活動実績も足りないため部室を取り上げられそうになっていた小宮恵那という少女が、投げる瑛太を夢中になって撮影しているシーンを重ね、登場人物たちと関わっていくような可能性も見せる。実際に恵那は、だんだんと4人の関係に加わって少なくない影響を展開に与える。

 けれども小説版ではそこに恵那は現れない。葉月も背景としてトランペットを吹いている存在として描かれている程度で、主役は瑛太であり美緒といった印象を感じさせる展開になっている。その後もストーリーは幼馴染みでありながら離ればなれになり、そしてそれぞれに誰かへの思いを抱えながら最後となる高校生活を過ごしてきた2人が、再会をきっかけに自分たちの思いを確かめていくようになっている。

 その意味では、小説版「Just Because!」はアニメーションも含めた生みの親である鴨志田一が、サイド瑛太&美緒といった感じで綴ったものだと言えるのかも知れない。ならば後、あるいは近々にサイド葉月&陽斗が綴られ、どうして瑛太と陽斗が対決している場面で応援歌を吹いたのか、そして陽斗との関係をどれだけ考え自分なりの結論を出したのか、といったことが吐露されるのかも知れない。陽斗は……わかりやすくて深層心理を言葉で探る意味はなさそうだけれど、告白して悶える少年の心情もまた、読んで楽しいから綴られて欲しい。

 いずれにしても、アニメーションとして観せられた登場人物たちの日々の、そこで何が考えられていたのかを小説として改めて読み込んでいくのが良いような気がする。もちろん小説版を先に読んでおおまかな展開を知りつつ、増えた視点から描かれるストーリーが関わり重なり合って進んでいく群像劇としてのアニメーションを観て、感心するといったアプローチも悪くはない。観てから読もうと読んでから観ようと、「Just Because!」に触れるならそれはどちらも正解だ。

 「Just Because!」という作品自体について考えるなら、高校3年生の3学期という、人生でも割と特別な時期を選んで舞台とした点がユニークと言える。大学受験を前にして緊張している生徒もいれば、推薦が決まってあとは遊ぶかトレーニングに精を出す生徒もいて、そして専門に進むから受験勉強とは無縁の生徒もいたりする。進路が決まったものから遊びに呆けたりしてく中で、決まらず焦りを見せるものもいたりと、向かう方向がバラバラになってふわふわとした状況にある。

 そうした中で、その学期しかいられない瑛太が飛び込んで来て、漫然と進んでいた高校生活最後の時間にちょっとした風を起こす。それはいったいどういった変化をもたらすのか。どういった結末へと向かうのか。テレビシリーズを見ていると、そうした興味をかきたてられるし、小説版でも同様に美緒との関係を深めつつ反発もして、それでもだんだんと近づいていく様を味わえる。

 学生たちの群像劇、という面でひとつ思い浮かんだのは、小山田いくという漫画家の作品「すくらっぷブック」だ。長野県小諸市に暮らす中学生たちがクラスメートを中心にして成長して卒業までいく姿を辿った青春ストーリーで、学業があって部活動があって恋愛があってといった具合に、中学生たちに起こり得る学校生活とか日常とかが淡々と綴られる中で、それぞれの登場人物たちが抱く感情といったものが描かれ、誰かに自分を重ね、あるいは全体に自分を置いて読んでいける。

 「Just Because」は中学ではなく高校が舞台だけれど、とくに大きな出来事がある訳でもなく、ひとつの部活動がテーマにもなっていなくて、登場人物たちがそれぞれに自分の立場を持ちながらも、繋がりあって重なり合いながら暮らしていく姿が淡々と描かれている。大人ならすでに過ぎた青春の一瞬が、現役ならば今まさにかあるいはこれから来る日々がそこにあって懐かしんだりはにかんだり、期待と不安に浸ったりして観ていける。あるいは読んでいける。

 その中で、言いたいのに言えない思いや、期待しているけれども裏切られるのが嫌で臆している気持や頑張って突破したいけど行き詰まってしまう焦りとか、そんな人間だったらどこかで抱くだろう感情が滲んで、どこかに自分を見つけたくなる。観て、あるいは読んで納得して微笑んで、観終わって読み終えて次に来る日常を歩いて行こうと思いたくなる。そんな物語だ。


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