女郎蜘蛛

 面白い。確かに面白い。圧倒的な面白さに読んでいる間、ページをめくる手が止まらない程ではあるけれど、読み終えてからふと考えると、これはいったい何だったんだろうと思ってしまう不思議な物語。それが「陰陽寮」などで現在大ブレイク中の富樫倫太郎の書き下ろし長編「女郎蜘蛛」(光文社、2200円)だ。

 「閻魔の藤兵衛」と呼ばれる、悪逆非道な押し込みをやることでしられる悪党一味のボスが、次の仕事のために江戸へと来てはみたものの、鉄の結束をほこった仲間たちの関係にどこかギクシャクした所が見えていて、どうしたものかと二の足を踏む。それでも仲間の一人で情報収集専門の金平の所に居た美貌の女にハマってしまい、仲間に引き入れ1年ぶりの仕事に突き進む。

 そこに挑むのが「鬼」として知られる火付け盗賊改めの頭、中山伊織。1年前に藤兵衛が起こした事件で受けた屈辱をはらそうと、手下の岡っ引きたちを駆使してまだ見ず名前すらも知らない藤兵衛一味へと迫っていく。

 人情なんてお構いなしに必要とあれば殺人も辞さない藤兵衛の悪漢ぶりに、仲間にしている人々のこれまた類を見ない悪党ぶりにまず驚く。お互いが打算と恐怖で結びつき、慕っているかと思ったら憎み合ったり騙し合ったりと、まさしく悪党と呼ぶより他にない関係にあることがリアルに克明に描かれていて楽しめる。

 一方で「鬼」と恐れられながらも心根は優しい火付け盗賊改めの伊織の気っ風の良さ、彼が見出した九兵衛なる男の活躍ぶり。そして九兵衛の複雑な過去。善人悪人と問わず立てられたキャラクターたちの造形はなかなかに巧みで、犯人探しに勤しむ伊織の手下たちのエピソード、ズレた歯車を直しきれないまま突き進む藤兵衛が直面する運命といったものへの興味をかきたてられて、ページはどんどんとめくられていく。

 けれどもどこか物足りないと感じてしまうのは、決定的なヒーローなりヒロインが不在のまま、立ちすぎたキャラたちがてんで勝手に動き回っては事件を起こし、捜査を始め、女に溺れ、友人を助け、同志に裏切られ……といった具合に、幾つものエピソードが重ねられていってしまう関係で、これと決めて感情を移入し、物語りの全体を見通す時の目にできるキャラクターが見つけにくかったから、なのだろう。

 正義に燃える伊織と悪にひたはしる藤兵衛の、それぞれに悩みをかかえ仕事に燃える姿が対等に交互に描かれているためか、さっきの瞬間まで藤兵衛に身をなぞらえて、悪でいる強さと弱さに心よじらせていたと思ったら、次の瞬間に伊織に自分が重なり、悪を憎み正義を貫き通す難しさに身をもだえさせる立場になってしまう。年増の女郎の身の上話に伊織の下で働く親分の日常もしかり。並列して描かれるそれぞれの日常に目移りしてしまって心の軸が定まらない。

 それぞれにそれぞれが送っている日々が並列しながら進んでいく展開を、例えば映画としてながめている分だったら大丈夫だったかもしれない。キャストがそれぞれに持っている生活が工作しながら1枚のタペストリーとして映画に織りあげられていく様を見ていれば良いのだから。小説は気持ちをひっかけておくフックたるべき人物がいないと、読んでいてなかなかに辛い。そこはさすがに稀代のストーリーテラーだけあって、「女郎蜘蛛」は読んで楽しめる1冊ではあるけれど、最後に残る爽快さ(あるいは痛切さ)がちょっと薄い。普通の小説だったら死なない可憐なヒロインがあっけなく殺されてしまうんだからたまらない。

 「女郎蜘蛛」とタイトルにまでなっているキャラクターの立場の薄さもこれありで、なるほどとてつもなく重要な役割を果たしてはいるものの、本線の上ではほとんどといって良いほど活躍せず、すべての事件を裏で糸引く悪のヒロイン、とまで言うのはなかなかにばかられる。そのあたりタイトルロールながらも活躍しなかった同じ富樫の長編「雄呂血」(光文社)の主人公と傾向が似ている。

 もっともそうしたバラけた展開も作者の特徴だと理解しておきさえすれば、江戸の街を舞台に複雑に絡み合った関係にある人々が、ひとつの事件の周囲を歩き回り裏と表、敵と味方に別れて出会い戦い散っていく、一種の群像劇として認め讃えられる作品だろう。キャラクターに感情移入をして、実際には難しい経験をさせてもらう小説としての醍醐味からはちょっとはずれるかもしれないが、パノラマのようなめくるめく展開のなかで、対峙する人々の想いや欲に感心を向けながら読めばそれなりに楽しめる。

 勧善懲悪とか正義は勝つとかいった”お約束”など無用と廃し、江戸にたぎっていた熱さと痛みを今の時代に甦らせた秀作。それにしてもやっぱり「女郎蜘蛛」というタイトル、持ち上げ過ぎのような気がするなあ。


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