人生リセットボタン

 やり直せないから考える、選ぶ、つかみ取る。それが人生。一方通行でしか流れない時間に生きざるを得ない人の営み。けれどももし、ボタンひとつですべてをやり直せるとしたら? あったはずのことをなかったことに出来るとしたら?

 誰だって押すだろう、そのボタンを。何度も何度も、手がすり切れるまで、ボタンが壊れるまで。いや、時間が戻るから手は元通りで、ボタンも壊れず前のまま、経験だけが積み重なって、その果てに最善を選び取ることが出来る訳だから、これはもう最高、人生の勝利は決まったようなものだ。

 本当に? 「星の舞台からみてる」(ハヤカワ文庫JA)の木本雅彦が、クリエイト・ユニット「KEMU VOXX」の人気ボーカロイド曲を題材に書いた「人生リセットボタン」(PHP研究所、1000円)を読めば気づく。夢のひみつ道具のようなリセットボタンで人生の勝利者になれたとしても、それに意味なんてあるのかと。

 マキちゃんというモノクロームの美少女から、起こったことをリセットできるボタンをもらった橋立ユウト。これを使って完璧な人生を送ろうとして、自分にとって気に入らない出来事を、すべてなかったことにしていく、というストーリー。

 学校で友人から奇怪なジュースを飲まされ、腹をこわして授業参観中にウンコを漏らしてしまうという、スクールライフにおいても人生においても、最悪に位置する出来事をまず回避して、リセットボタンの有り難みを身をもって知ったユウトは、次に幼なじみのナツキとの恋仲を、リセットボタンで一気に進めようとする。

 告白する。ふられる。リセット。告白する。そっぽを向かれる。リセット。その繰り返し。それを何回も、何百回も、何千回も続けていけば、いつかナツキは振り向いてくれるとユウトは信じて、リセットボタンを押し続ける。タイミングなのか。言い方なのか。その辺りを考え直してやり直し、勝利へと向かって邁進する。

 けれども、どれだけリセットしても、ナツキはユウトを恋人としては見てくれない。友達のままでいたいという、彼女の気持ちを変えられない。リセットしたって今は変わらない。だから失敗をやり直せても、運命を変えることなんて出来はしない。そういうことだ。

 そこにいっそうの衝撃。親友だった藤吉シュウがナツキから告白されて、いい仲になろうとしていた。嫌だ。それだけは嫌だとユウトは、シュウがナツキからの告白を受けないように誘導する。

 自分に手に入れられないものを、誰かが手に入れるなんてとんでもない。だから気持ちは晴れた。ところが、シュウに受け入れられてもらえなかったナツキが、ひとり街に出て殺されてしまう事件が起こってユウトは愕然とする。だからリセット。ナツキはシュウへの関心を失わず、告白するかもしれない恐怖がユウトを苛む。

 だったらもういいと、試行錯誤の果てにユウトは2人を恋愛関係へと向かわせず、3人が前のような友人関係を維持できるようにすることで、どうにかナツキの死は避けられるようにする。そこに、今度は別の悲劇がナツキとユウトを襲う。

 聡明な裏に隠れた狂気が暴走する。リセット。リセット。リセット。それでも届かない救済への道。なおかつユウト自身にも、リセットのやり過ぎによる副作用が出始める。

 どうすればいい。どうしようもない。受け入れるしかない。運命を。そうなのか? ユウトはあがく。自分の想いはかなわなくても、誰かの思いをかねたいとリセットボタンを使い続けて、そしてその身にすべてを背負う。

 何でも変えられるということは、喜びも哀しみも含めたかけがえのない経験を、希薄化させて無価値にしてしまうということだ。どれだけの成功があっても、それはとてつもない数の成功のひとつでしかない。それが嬉しいか。一時は嬉しくても、やがて埋もれてしまい、嬉しさすら観じなくなる。

 かけがえのない今を生きろ。そして望む未来をその手で自ら作り出せ。そう、諭されるような物語。あがき続けたユウトはいったい、最後にどんな人生を選ぶのか。そこに彼は必要なのか。ボーカロイドによる元曲が醸し出す世界観を、より深く、そして鋭く衝いたノベライズだ。

 人生リセットボタンを手にしたいか? 問われてあなたはどう答える?


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