いやしい鳥

 文明の利器に囲まれ、清潔な都会での暮らしを続けるようになっても人間は、心の奥底で自然を御しきれない存在と認め、畏怖しているものらしい。だから平穏だったはずの日常に、計算不能な不条理がぬるりと現れた時、人はそこに自然の姿を重ねて見て、ままならなさに怯え震えて恐怖する。

 大学の非常勤講師をしていた男は、飲み会に乱入して来た教え子ではない酔っぱらいの青年を仕方なく家に連れ帰る。空腹を訴える青年のために買い出しに行って戻ると、青年は男が大切に飼っていたオカメインコを食ってしまっていた。

 当然のように男は怒って青年を殴る。殴り飛ばす。すると次第に青年の顔が変わり、全身から羽毛が伸びて鳥になてしまった。青年は巨大な鳥になって男の部屋にいつき、鋭いくちばしで攻撃し始めた。

 藤野可織の「いやしい鳥」(文藝春秋、1238円)に収録された3編のうちの、「文學界新人賞」を受賞した表題作。巨大な鳥をの同居という日常に起こった不条理な出来事でも、それを経験しているのは実は男だけ。隣家の主婦には入り口からではない場所から男が出入りする姿と、壁越しに響く不穏な音しか見えないし、聞こえない。

 何かが起こっているのかもしれない。けれども男の見たままとは限らない。非常勤講師という先の見えない暮らしに焦り、愛想を尽かして家を出て行った妻に憤った男が抱いた妄想。客観的にはそう見るのが普通だろう。

 そんな男が恐怖する対象が巨大な鳥だったという部分に、妄想を超えた人間の根元にひそむ自然や野生への恐怖の感情が滲む。意志を通わせようにも通じない相手。剥き出しの攻撃心。心から愛していたようで、日常への憎悪の裏返しでしかなかった偽物の愛を鳥に注いでいた反動が、巨大な鳥の形になって現れ、迫って来たのかもしれない。

 「悪い子にしていると恐竜に食べられちゃうよ」。そう幼い娘をおどかしていた母。恐竜は滅びたはずなのにと、子供心にそう反発していたらある日、母が恐竜に呑み込まれてしまう姿を見た。

 大学生になった今も母はいる。でも前の母親とは違う気がする。「溶けない」という短編に描かれたビジョンにもまた、自然への根元的な恐怖心が見え隠れする。男子との交遊を叱り、喫煙をとがめる母への憎悪。抑えつけてくる巨大な存在への反発心が恐竜の形となって現れた。

 人によってはカメレオンで、あるいはコモドオオトカゲといった形になって現れた感情が、カメレオンやコモドオオトカゲなど比べ物にならないくらいに巨大で凶暴な恐竜として女性の目に見えた。単なる思慕とは違うし、単純な憎悪とも違う深くて激しい母への感情か、女性の中にずっとわだかまっていたのだろう。

 洋菓子屋の開店祝いに送られていた巨大な胡蝶蘭。堂々とした美しさの裏側で、近寄ってきた猫を喰らい、手を触れた人を噛む不気味な花だといった評判がわき上がる。子供達はお化けの蘭だといって攻撃の手をゆるめない。戸惑った店主は捨てようかと考える。

 それを聞いた女性は、胡蝶蘭を譲り受けて部屋へと持ち帰る。親切で明るくて前向きそうな女性の様子。けれどもそこには心底からの花への情愛が滲まない。化け物としての胡蝶蘭に戴くネガティブな好奇心。世間と関わり合っているようでどこか浮き上がった虚無の感情。「胡蝶蘭」という短編からは、そんな乾いた情感がジワッと立ち上って身を惑わせる。

 自然への恐怖。自然への畏敬。憧れながらも遠ざけたい自然への複雑な感情を人間は絶対に捨てられない。読み終えて知るその事実。自覚してふと目をあげ見渡した世界の端々に、動物が、恐竜が、草木が襲ってくる白昼夢が浮かぶ。そこから人は思い知る。抱えた不安や拭い去れない未練の大きさというものを。


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