いつか、勇者だった少年

 非日常を求める者たちがいる。

 異世界に行って竜を駆り、あるいは機動兵器を操って勇者や戦士として戦いたいと願う。過去に飛ぶなり未来へと飛んで、周りに誰も自分を知る者のいない自由な環境で、自分に秘められているはずの力を振るってみたいと願う。

 非日常の世界で大活躍するという願望に溢れた物語が、漫画やアニメーションや小説や映画やドラマにこれまで、幾つも描かれている。というより物語のほとんどは、そうした願望をはらんでいるともいえる。

 異世界に行くことだけが願望を叶える訳でもない。ある者は想念のパワーで自分を変え、周囲を変えて世界を作り替えてようとする。本田誠「空色パンデミック」(ファミ通文庫)には、そんな者たちの葛藤が描かれる。

 異世界にも行けず現実世界も変えられない者は、自分自身の心を変えようとする。ある者は己の内に妄想を膨らませては、学校ではクラスの大勢に弾かれ虐げられ、会社でも上司に疎まれ踏みにじられながら、それでも孤高を保ち続けようとする。田中ロミオの「AURA −魔龍院光牙最後の闘い−」(ガガガ文庫)には、そんあ者たちの苦闘が溢れている。

 現実には何者にもなれはしない人間が、非日常では英雄になれヒーローになれ、お姫様になれてヒロインになれる。現実では罵倒され虐げられている人間が、非日常では賞賛され尊敬を集めることができる。だから願う。非日常の訪れを。

 これほどまでに魅力的な非日常の快楽を、いちどは得られた人が再び得らるとなった時、いったいどんな振る舞いに出るのだろう。もはや絶対に失いたくないとしがみつくに違いない。たとえ誰かを裏切っても。そして人を殺めても。

 秋口ぎぐるの「いつか、勇者だった少年」(朝日新聞出版社、900)は、非日常という宴の後に来る心の空虚さにとらわれた少年が、徹底して非日常にこだわり、しがみつこうとした挙げ句にとった行動の凄まじさを描いた物語だ。

 隼人という少年は、かつて異世界に召還されて勇者として戦ったことがあった。戦いを終えて現世に戻された隼人は、この2年間、平穏過ぎる日常にすべてのやる気を失って、ニート気味の暮らしの中にふわふわと漂っていた。

 隼人にはいっしょに異世界に召還され、いっしょに戦った仲間たちがいた。共に現世に戻ったその仲間たちは、隼人とは違って約束された安心の中で、日々を謳歌している。隼人にはそうした感覚が信じられなかった。

 そんなある日、かつて異世界で共に戦った仲間のひとりの家が火を噴き、仲間が死ぬ事件起こる。なにかが始まった。そう直感した隼人は、再び訪れようとしている非日常に歓喜し、家を出てかつての仲間に連絡を取り始める。

 その途中、道ばたで出会った少女、華子こそが隼人に再びもたらあれた非日常の元凶だった。以前とは雰囲気が違っていた華子の正体に、それでも隼人はすぐに気づき、華子が自分を襲ってきた理由もすぐさま察知した上で、再びめぐってきた非日常を、もはや絶対に手放したくないと考え、あらゆる手段を行使し始める。

 そもそもが華子に隼人が襲われたのも、過去に異世界で抱いた非日常への憧れであり、それを手放したくないという執着心があったから。今再びの非日常に隼人の執着はさらに増し、華子を使おうとしていた勢力に自分を見方にするよう求め、自分を頼ってきた勢力をあっさり裏切るようなことまでしてみせる。

 それより以前に、自分と同じ経験をしながら非日常に背を向けていたかつての仲間を自分と同じ思いにさせるよう、卑劣きわまりない行為に出てしまったりもする。何という心根の冷え方か。何という執着の凄まじさか。

 その心根、その執着に触れるにつけ、物語だったりゲームだったりを通して非日常を求め楽しんだ果てに来る、ポッカリとあいた虚ろな心の恐ろしさというものが感じられてくる。そうした虚心をもしも埋められない人が続出した時に、世界はいったいどうなってしまうのか。そんな恐怖が背筋をぞぞっと冷やす。

 もちろん多くは現実に還っていく。非日常より日常を求めて戻っていく。けれどもそうはなれない人間がいる。非日常の快楽を思えばそれも仕方がないことだろう。ただし、あくまでフィクションでしか得られない非日常は、この現実世界では諦めるより他にない。可能なのは自分自身の中に非日常を作ることくらい。例えば魔龍院光牙のように。

 「いつか、勇者だった少年」も、そうした非日常を諦められない人間が、妄想の果てに起こした暴走かもしれない。そんな想像も一方には浮かぶ。どうやらそうではなさそうといった雰囲気もある。本当のところは分からない。

 いずれにしても、現実世界に生きる人間の猛襲が、現実世界に生きる人たちに何がしかの影響をもたらすことは十分にあり得る。求めすぎた非日常の果てに来る、恐るべき事態を感じておく必要は、あるのかもしれない。

 非日常の魅惑ばかりを煽る物語の氾濫が、何を招くのかということを探求した、ある面でメタな設定を持ったストーリー。そして、願望が満たされる幸福に浸りたい多くの人にとって、とてつもなく後味の悪いストーリー。その感覚はいつか晴れるのか、それとも徹底して非日常に逃げる醜悪さを浮かび上がらせていくのか。

 続編があるのかどうかも不明な中で、物語に非日常を求める人間たちに鋭く何かを突き刺そうとした物語であることは間違いない。かつてない問題作。2010年どころか2010年代を通して、非日常に憧れ非日常の物語を求める者たちの心を乱し、惑わし続けるだろう


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