インテリぶる推理少女とハメたいせんせい
−In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI

 「あっ……う……。ひっ……ひぎ……ぎっ……ひ、ひぎいいっ! ひぎっ! ひぎいいっ! ひぎい! ひ、ひぎいいっ! ひぎっ! ひぎいいいっ! ひぎい! ひ、ひぎいいっ! ひぎっ! ひぎいいっ!」で始まって、見開きとなる2ページが「ひぎっ」「ひぎいいいっ」「ひぎい」「ひぎ」という言葉だけで埋め尽くされた、海猫沢めろんによる「左巻キ式ラストリゾート」を経験済みの世界において、残酷な陵辱に埋め尽くされた物語程度で震撼し、驚嘆するような優しい神経のライトノベル読者など存在しない。

 ということはさすがになく、いわゆるエロゲーを題材にした18歳未満は読んではいけないカテゴリーに入る小説で、どれだけ残酷で淫靡な描写が繰り広げられていたところで、一般向けのレーベルから出た小説に、そんな描写がそのまま当てはめられるような状況にはなってはおらず、手に取る読者もそうした話が繰り出されるとは予想していない。当たり前の話だ。

 だから、米倉あきらによる「インテリぶる推理少女とハメたいせんせい」(HJ文庫、638円)を読み始めて、のっけから文芸部の女子中学生たちを強姦し尽くした先生が、残る1人をどう強姦しようか考えを巡らせている中で、その比良坂さんという女子中学生はしきりにこの場で先生は強姦できないという論理を繰り広げ、そして他の誰かを強姦したことには正当な理由があったんだと、先生を擁護するような言説を繰り広げる展開をぶつけられ、手に取った人はこれはいったい何なんだという驚きで、脳がピキピキと痙攣し始めるだろう。

 そこから先、強姦がいけないことなのか、愛ある関係を放り出して浮気することが悪いのか、足コキは良いのか、先っぽまでなら許されるのか……等々の、淫猥なタームを含んだやりとりが、エロティックな描写のほとんどないまま先生と、比良坂さんとの会話によってのも繰り広げられていく。そこから浮かぶのは、実体ではなく観念としての強姦に対する意識を問うような一種の思考実験。そして、ともすれば強姦であっても先生ならと擁護しようとする女子中学生の“説得”に、そういうものなのかと思わされそうになる。恐ろしい。

 そんな淫猥で理知的なやりとりがいったいどこへと向かうのか。関心が集まりそうなポイントだけれど、この話にストーリーらしきものがあるとしたらそれは、先生がかつて比良坂さんの姉との関わりを持っていて、その姉が死んだか殺されたかしてそしてまだ若かった先生は、直後に島を出ながら再び教師となって戻ってきて、文芸部の部員たちを強姦したいと考えて実行していくことにした、といったものくらい。それですら順繰りに詳細な描写をするのではなく、すでに終わったこととして流してあるから、やはり帰結は見えない。インテリぶる比良坂さんとしてしまうのかどうかも含め。

 そんな合間に、推理少女というだけあってミステリー好きの比良坂さんが、持てるミステリーに関する知識や見解を披露して回るから、話は余計に複雑さを増す。むしろおかしさか。変態的なという意味での。「このご時世にあえて物理トリックを使えば超斬新扱いされるんじゃないですか。わたし『六枚のとんかつ』を読んで思いついたトリックがあるんです!」という少女の叫び。読んで「六枚のとんかつ」が何かを認知している人は、きっとここには何かあると感じて読み通すしかないと思うだろう。何しろ「六枚のとんかつ」だもの。

 そんなこんなで読み進めていっても、繰り広げられるのは漫画派とミステリ派に別れた文芸部員が、どちらを部の名前に選ぶかを野球で決めようとして、8人対8人に別れて野球をしようとして、野球のルールも知らなければ体力もないため、まるで野球にならない野球をしたり、こちらは男子を相手にバスケットボールをしたりといった意味不明な展開。それが本筋と関わると関わらないとに関わらず、空論を積み重ねて空前を描いて楽しませる腕に長けているからたまらない。読んでしまう、読まされてしまう、否応なしに。

 そんな混乱と騒乱と惑乱の果てに辿り着く“解決編”でも、まるで解決とはならない物語。というよりそんなありきたりの解決よりも、言葉による思考の積み重ねで示される多彩で多重的な可能性の方が、よほど有意義で為になる。そうかそういうことなのか、違うそういうことなのかも、だからそういうことだって。それらを飽きさせず驚かせながら読み進ませる出し入れの巧さが、全体を通じて持ち味となってこの作品を成立させているとも言えるだろう。強姦だけに出し入れとは。だからそういう意味ではないってば。

 つまり強姦という行為そのものの可否よりも、行為があったかなかったかの是非を言葉で追いつめるロジカルな内容を持った小説であり、強姦が殺人より凶悪で忌み嫌われるものとされる世の風潮なり、ミステリ界の不思議な感覚を真正面から抉って見せた、壮絶にして饒舌な1冊だということ。ミステリ界隈のみならず、もちろんライトノベルも当然として、文学の世界をもその軽快に見えてその実執拗に粘り連ねていく文体で、大きく震撼させそうだ。後に文芸へと進出して成功を収めた海猫沢めろんのように羽ばたくか。1作で消えるか。分水嶺に立つ。


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