イマジナル・ディスク
imaginal・disk

 「末は博士か大臣」になるんだと夢見ていた子供の時代が、今となっては懐かしいやら恥ずかしいやらで、博士になるのがどんなに難しいことなのかが分かった現在、残る大臣になるべく努力している、かというとそんなことは全然ないけれど、万分にひとつの可能性で国会議員にでもなれたら、大臣の夢だってかなうかもしれない。アイツやアイツが国会議員でアイツやアイツが大臣なんだから、実際。

 もどって博士の方となると、これはもう運よりも才能がモノをいう世界、というより才能は絶対不可欠の条件で、そこに運なり努力なり情熱なりが乗っからないことには、とうてい博士になんてなれそうもない。とりわけ理系の博士ともなると、才能に努力を重ねて運を掛ける日々を、5年10年繰り返してようやく手にできる代物らしい。京都大学大学院理学研究科博士課程を修了した経歴を持つ夏緑が、「イマジナル・ディスク」(角川春樹事務所、760円)の中でそう描いているんだから、きっと本当のことなんだろう。

 主人公は京都大学理学部M2(修士2年)に所属している野辺剛史という青年。理学研究所遺伝子実験棟に所属していて、バイオ関連の論文を書くための実験を毎日のように繰り返している。その日も学校に来ていた野辺の前に、鞄をひったくられて困っているという女性が現れた。医学研究科にいる助手の小坂典弘の知り合いだという彼女、仁科美奈子は手首に包帯を巻いていて、下は血膿で朽ちたような傷が出来ている酷い状態になっていて、聞くと蝶に噛まれてこうなったのだという。

 昆虫が専門で、生物にくわしい剛史にとって、蜜を吸いやすいようセンマイ状になった蝶が人を噛むのは不可能いうのは明白なこと。かといってチャドクガに触れた訳でもハチに刺された訳でもなさそうな傷跡に、剛史はちょっとした興味を覚える。進化の可能性。昆虫の進化を論文のテーマにしつつ、修士論文のデータがまとまらなかった剛史にとって、噛む蝶は絶好の研究対象に映った。

 もっとも、それで修士論文を書けるという保障はなく、焦りも浮かんでもやもやとしていた所にふって湧いたのが、美奈子が知り合いだといった小坂典弘から依頼された実験。京都近郊で発生していた、全身が血膿にまみれながら死んでいく謎の奇病の病原体を固定する手伝いをしてくれないかというもので、協力すれば共同研究ということで論文に名前が連名で乗り、修士論文を書くためのデータも得られることになる。論文がすべての研究者にとって魅力的な提案に、仁科のことを聞いても知らぬ存ぜぬを繰り返す小坂を不思議に思ったものの、剛史は協力を約束し、早速実験を始めることにした。

 夜になったら実験を始めようとしていた最中、剛史は前日の美奈子という女性がふたたびキャンパスに姿を現したことを知る。やがて始まった実験の最中、美奈子は小坂と体面するが、小坂はよそよそしいばかりか美奈子に向かって「おまえみたいな女が釣り合うと思うのか?」といってのける。アメリカのカリフォルニア大学に学び、博士号を取得してから戻って医学研究科助手にまでなった小坂がさらに上へと登るための、美奈子はいわば捨て石だった。博士になるには才能と運と努力ともうひとつ、冷徹で尊大な心もやっぱり必要らしい。なるほど常人ではやっぱり博士にはなれそうもない。

 さて、小坂と剛史による謎の奇病をめぐる実験は、これまでの常識を覆すとてつもない結果を導き出す。そしてその結果こそが、人類を人類たらしめている状態から変えてしまうような秘密を持ち、世界を恐怖と混乱に陥れかねないインパクトを持った、とてつもない事態が起こっていることを示す証拠だった。噛む蝶とはいったい何なのか。血膿にまみれて死んでいく人間の謎とは。同じ様な血膿を手首ににじませている美奈子の行く末は。襲いかかる謎の一団によって、学生が、教師が次々と倒れて良き、渦巻く蝶の鋭い牙が、残された人々に死よりもすさまじい運命をもたらす。

 大学院博士課程を修了したエキスパートの本だけあって、遺伝子操作がもたらす驚異と恐怖についての描写は事実か空想かはともかくリアリティたっぷり。バイオ兵器の使用が世界中を震撼させている折も折だけに、今は空想かもしれないけれど、将来において事実にならないという保証はなく、身に戦慄が走る。事件の発端もバイオなら、バイオテロからの身の守り方、事態の収拾の仕方についても暴力や権力といった物理的、精神的な力に走らず、キッチリとバイオテクノロジーの上で決着を付けて来るところもさすがなもの。すべてを理解できたかどうかは別にして、バイオテロへの恐怖と、バイオテロと戦える希望を学ぶことができて為になる。

 それでもやっぱり読んで面白く恐ろしいのは、博士をめざす人たちのすさまじいばかりの頑張りぶりや猛進ぶり。夜も寝ないで実験し、上に媚び下にへつらい、他人を利用しては邪魔になったら蹴落とすという技を駆使し、それでもなれるかなれないか分からないという実態を知るにつれ、博士という人たちの偉大さ(それとも尊大さ?)に畏敬の念が浮かんで来る。「末は博士」なんてもう思わないから、世の中だけは滅ぼさないでね、博士たち。


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