百万畳ラビリンス

 ひとりでゲームをするのが好きだから、ゲームのプレーヤーはコミュニケーションが苦手とは限らないし、オンラインゲームで見知らぬ人とワイワイできるから、ゲームのプレーヤーはコミュニケーションが得意だとも限らない。

 とはいえ、ゲームという架空の世界で、架空の人々なり架空の神々なり架空のモンスターなりを相手にすることに慣れ親しんだプレーヤーが、計算の成り立たない先の見通せない現実を相手に戸惑いを覚え、無能をさらけ出す可能性は皆無ではない。むしろ高いとすら言えるかもしれない。

 逆にいうなら、ゲームという架空の世界で起こることに強く触れ、ひたり溺れきったプレーヤーには、そうした世界が再現されている限りにおいて、無敵を誇れる可能性があるということなのかもしれない。そんなことを、たかみちによる漫画「百万畳ラビリンス 上・下」(少年画報社、各680円)から思い浮かぶ。

 ゲーム会社でデバッガーのアルバイトをしている大学生の礼香と、同居人の庸子が気がつくと、そこは自分たちが暮らしている社宅にそっくりの、ボロアパートの畳敷きの部屋が幾つもどこまでも連なった空間で、上に行っても下に行っても脱出はかなわず、見渡せば樹海ばかりでどこにも行けそうにもない。中庭めいた場所に落としたものが上から振ってくるような、不思議な現象にも遭遇する。

 食べ物は供給されるし、お風呂にだって入れるから、ずっと留まっていても生活には困らなそうだったけれど、それでも奇妙な世界にいつまでもいたくはないのは、誰でも思うこと。謎めいた書き置きを見つけ、その人物に落ちていたスマートフォンで連絡を取ろうとして、電波が届きそうな場所を探し少し離れた場所にある建物ならと思い、水浸しだけれど下は畳という不思議な樹海をかきわけ到着しててふり向くと、さっきまでいた部屋が積み重なったアパートが、ぱっくんと巨大な怪物に食われてしまう光景が見えた。

 そこはどうやら何かのゲームを模した世界だと、礼香は気付いていたようだけれど、モニターの向こう側に広がっているゲームの世界を遊ぶのと違って、実際にそこにいる礼香や庸子にとって、決して安全な世界とは言えなさそう。

 そして樹海の向こうに見えた建物にどうにか部屋に転がり込んだ礼香と庸子は、ネットを介して連絡のついたゲームデザイナーの男から、そこが密猟者なるものによって作られた世界で、なおかつバグとして生まれた裏世界だと教えられ、別に表の世界もあって、そこに捕らえられた人間たちを解放し、人類を密猟者の手から救うように言われる。

 とはいえモンスターと戦うための武器めいたものはなく、密猟者にたどり着く術もない。そこで礼香のゲームに耽溺し続けて得た知識と、ゲームの中で無敵に振る舞ってきた性格が大きく生きてくる。

 他人とのコミュニケーションは苦手でも、ゲームのことになると途端に前向きでアグレッシブになれる礼香は、高い場所でも平気で上がり、ルールに従うように動くルームシャークを避けつつ倒しもしながら、まずは密猟者にさらわれた人間たちがそことは知らず暮らしている表世界にたどり着き、そこから密猟者たちの本拠地へとたどり着くために必要な行動を取り始める。

 その様子はまるでゲームをプレーしてるかのよう。他人に配慮し状況を不安視できる当たり前の感性を持った庸子は、礼香の無敵で無謀な振る舞いを心配もし、そしてその言動が礼香の無茶をサポートしたりもするけれど、そうした互いを補うコンビネーションも、礼香の果てしない無敵ぶりにやがて行き詰まる。

 ふと我に返って、己の無敵さが他人を不安にして生きることに礼香は耐えられなかったのか。それとも自分が伸び伸びとやれる環境が欲しかったのか。いずれにしても、異常な状況、異様な空間に直面しながらも自分を変えず思いのままに突き進んでいった礼香の精神を見るにつけ、心底からのゲーム好きで、なおかつゲームの世界にしか真実を見つけられないような人間が、この世界には存在するのかもと思えてくる。

 そんな礼香がいたからこそ、人類は救われたのだとしても、そういう人間が逆に支配者の側に回ったときに何が起こるのか、といったあたりでちょっとした不安と恐怖も浮かび上がる。密猟者たちを囲い狩って楽しんでいるように見える礼香のそれは、かつての密猟者たちとどう違うのか。むしろ人として、あるいは食糧として人を扱った密猟者たちの方がまともだったのではないのか。そんな考えも漂う。

 ゲームのルールをバーチャルからリアルへと引っ張り出して、そこに放り込まれた人間たちの戸惑いを描いた作品のひとつであり、なおかつファンタジー的なPRGの世界に放り込まれるのとは違った、奇妙な世界観を設定し独特のルールの上で行動させるという、想像力を発揮して描かれた希有な作品。それが「百万畳ラビリンス」だと言えるのかもしれない。

 何でもありの状況にあって、決して美貌とはいえなかった自分をそれなりなスタイルに変えることができたにも関わらず、庸子が自分は自分だと言って元通りの自分に戻っていった姿に、それが人間として普通なのか、それとも何でもありなら何でもやってしまう礼香が正しいのか、少し迷ってしまう。自分ならどちらになり得たか。そして世界を救えたか。考えたい。


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