舟越桂展
展覧会名:舟越桂展
会場:東京都現代美術館
日時:2003年4月12日
入場料:1000円



 「舟越桂展」初日。木彫りの半身像で有名な彫刻家で、すでに80年代後半から日本のみならず世界でも注目を集めている人だけに、初日から長蛇の列が出来ているに違いないとか思ったけれど、そこは地の果て木場の現代美術館、並んでいる人もおらず「日蓮展」のように仏像をぐるりと取り囲む観覧者もないなかを、1つひとつの彫刻の間近にまで迫って面から裏からじっくりと作品を見ることができた。

 これまでも西村画廊での新作展とか、名古屋にある美術館の収蔵品点とかで数点づつの作品を見る機会はあったけど、過去に作った作品の3分の1に上るという数をまとめて、それも数センチというて距離から眺められたのはこれが初めて。企画してくれた現代美術館のキュレーターには、展示方法も含めて素晴らしかったと感謝の言葉をまず贈りたい。ここまで開催されなかったという苦言も少しは込めつつ。

 それにしても素晴らしい展覧会。「森へ帰る日」を始め過去に購入し写真集で見たことがあったり、名古屋市美術館で実際に見たことのある作品に実際に今ふたたび見えることができたのは喜ばしい限りで、例えば舟越桂には珍しい全身像で見るからに「コム・デ・ギャルソン」とかいったファッショナブルな服を着ているように見える青年の姿をかたどった、「午後にはガンター・グローヴにいる」を、前に東京オペラシティギャラリーで見たドローイングと合わせて見られて、その大きさその雰囲気に改めて木とゆー素材の持つ温もりと柔らかさを伴った量感の心地よさを感じる。

 グリーンの衣装を着た細面の女性像で、名古屋市美術館が所蔵している「かたい布はときどき話す」とは7年ぶりの対面か。生きているような表情を持つ造形に顔をぎゅっと抱えて抱きしめたくなる。西村画廊の個展で見た眼鏡っ娘女性の半身像「午後の青に」とはおよそ10年ぶりの対面。12年くらい前に「小説新潮」の記事で舟越桂という作家のことを知って、しばらくして開かれた個展にかけつけ虜になった作品で、その時も真正面から顔をながめては、ものを言いだしそうな表情に吸い込まれ、その場に釘付けになった記憶がある。

 もっとも10年が経ってこっちは歳をとり失うものも失ったのに、彫刻の彼女はまるで変わらず叡智を讃えた表情をして見つめ返して来る。時をそこに固めて永遠に残す彫刻作品の良さ、それを実現してみせる舟越桂の活動の素晴らしさを今さらながらに実感する。真横に置いてあった「野の印画紙」という作品も瞬間を固めたもの。土台がおそらくは森村泰昌で、画家になり女優に化けて本体を見せない森村の本性が、これは意外な形で現れたと言える。嘘を突き通す肉体と真実を現す模型という、逆転した関係が面白い。

 まとまって見られたことで初期の、表情もファッションもリアルさを残した半身像がだんだんと歪みふくらみ削られていった様を目の当たりできるのも回顧展ならではの収穫か。89年の「言葉の降る森」や「言葉が降りてくる」あたりから髪型に奇矯なフォルムが現れ、ファッションもスモッグみたいな法衣みたいな不思議な形が現れてはいたけれど、91年の腕が前について振り子のようになった作品「水の上の振り子」や92年の「遅い振り子」がきっかけになったのか、人間っぽさを残していた胴体にも変化が現れ形に家が建ったり山が盛り上がったりして、具象ではあるんだけどどこか抽象っぽい暗喩を放ちはじめる。

 その現時点での究極が新作として展示された「水に映る月蝕」と「夜は夜に」という作品。うち「月蝕」はまるで瓢箪のように下部がふくらんだ胴体に乳房が張り出し、背中には天使の羽根のような向き で腕が張り出す異形ぶり。にも関わらず顔はあくまで美しく整った女性で、そのギャップが逆に美を放ちつつ世界を育む力も秘めた慈母としての女性とゆう存在を放つ。「夜は夜に」も瓢箪化したいびつな形の腕の胴体に、こちらは悪魔的な笑みを浮かべた道化のような顔が乗った抽象へと傾きを鋭くした作品で、木の素材が醸す暖かさを覆って、鋭さと冷たさが感じられる表情・フォルムに、人の持つ心理の複雑さ、奥深さが伺えるような気がする。

 実を言うとどこかにいそうな誰かの半身像を眺めてそのリアルな表情に人恋しさを免れようとする見方で舟越桂の作品に接してきて、だからこそ90年代に始まったさまざまな試みにちょっとだけ反発も感じて、もっと「午後の青に」みたいな作品を作って欲しいと思っていたけれど、ファッションとかモデルとかいった情報を濾過して深層へと迫ろううとして来たんだということを、歴々の作品を通して目の当たりにすると、変化の過程にある作品にも、作家の葛藤が見え、込めた想いが伺え浮かび上がる本質が感じられて、だんだんと好きになって来た。それでもまだ感じ取れない部分も多くあるのだろう。しばらく開催される展覧会へと繁く通い。刻まれた思いを作品からくみ取ることに心を傾けたい。


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