封印作品の謎2

 普通に見ていた。普通に読んで楽しんでいた。そんなテレビ番組が今は見られない。なぜか今は読むことができない。

 それを残念と思うかは、人によってそれぞれで、幼い頃に存分に見たから、今改めて見たい、読みたいとは思わないという人もいるかもしれないし、子供の頃には存分に見られなかった、読めなかったから時間もできた今、改めて見たり読んだりしたいという人もいる。

 ただ、残念かそうでないかは別にして、どうしてそれらの作品が見たり読んだりできなくなっているのかという理由のところで、流行っていないから、売れないからといった商業的な理由ではなく、曖昧模糊とした理由があって、世に流通していない状況へと至っている点に、引っかかるものがある。

 明確でない理由で、世に流通しない作品が生まれているという事実は、今は世に溢れるているさまざまな作品にも、いつか明確でない理由を要因にして、同様の”封印作品”が生まれかねないという可能性を示唆する。昔は普通に見られ、読まれた作品が今は流通していない理由を、だから解き明かす必要があのだと、安藤健二の「封印作品2」(太田出版、1480円)は考えさせる。

 「キャンディ・キャンディ」といえば、日本を代表する少女マンガでアニメにもなって世界に広く流通した。ところが今、この作品を新刊として購入することは不可能だ。アニメの再放送も見ることができないし、DVDだって購入できない。ただ堀江美都子が唄う主題歌だけが耳に響いて、作品への感慨を惹起する。

 原作者と、漫画を描いた人との間に持ち上がっている事情が、日本中の女の子たちを虜にして、韓国でもサッカー選手のアン・ジョンファンのニックネーム「テリー」の元になり、また「冬のソナタ」のメロドラマにも大きな影響を与えた作品を、半ば絶版状態へとおいやり、アニメの再放送も不可能な状況へと至らしめている。手続き的には解決可能な問題で、法律的な結論も出ている。けれども2人の間に生まれたわだかまりが収まっていない状況で、作品が世に出ることはあり得ない。

 原作者と、漫画家の間のわだかまりを解決する手段は果たしてないのか? 初期の段階だったら、仲間内からの助言も利いたのかもしれないと安藤健二は示唆する。けれどもその段階はもはや過ぎた。孤高を歩む漫画家に届く言葉は未だ無く、また、権利の問題ではなく詐欺に近い仕儀だと憤り、商品化の上で原作者など無関係だと言われ、悲嘆にくれた原作者の心を癒す手だても見つからない状況では、漫画の復刻もアニメの再放送も行われることはない。

 仲違いという状況。その原因となると半ば水掛け論にもなってしまい、どちらに責任があるのかを問うことも難しい。希望があるとすれば、2人が仲直りをして、今ふたたびに「キャンディ・キャンディ」を世に出す必要性を感じてくれることなのだが、果たしてその道はあるのだろうか。最初に連載された漫画誌が「なかよし」とは、今の状況を考えると皮肉だが、それでもその雑誌を読んで感動に浸ったかつての乙女たちのためにも、今再び「なかよし」になって欲しいと願うより他にない。

 テレビアニメの「ジャングル黒べえ」についても、安藤健二は取り上げている。今の30代後半から40代にかけての世代は、本放送の時にリアルタイムに見て、再放送も何度となく見てテーマソングとともに心に深く染みいっている番組だろう。その面白さを思い出すにつけ、見られるのならまた見たいという人も多いはずだ。

 アフリカのジャングルから都会へとやって来たピリミー族の族長の息子、黒べえが魔法の力で都会の暮らしに起こるいざこざを、ハチャメチャにしつつも楽しく明るく解決してしまう展開は、藤子不二雄にお馴染みのシチュエーションとはいえ、アニメが持つ動きの迫力もあって、心を柔らかくしてくれた。登場する嫌みなガックちゃんやブラブラミンゴやパオパオといったキャラクターたち、動物たちも楽しませてくれた。

 それがなぜかテレビから姿を消した。DVDにもなっていない。理由は岩波書店版「ちびくろ・さんぼ」が絶版に至った理由と同じらしい。ただし。抗議があって絶版となった事実を踏まえつつ、再刊が果たされた「さんぼ」と違って、「ジャングル黒べえ」の場合は、その辺の経緯が今ひとつ明確になっていない。

 本当に抗議したのかと、抗議の元へと安藤健二は問い合わせる。けれども相手からは忙しい、時間がないといった理由から回答を得られない。記録にあたってももらえない。

 曖昧なままに何だかイケナイ作品だという扱いから、「ジャングル黒べえ」は”封印”されてしまっている。明確な原因が分からず、誤解があるならそれを解く手段も見つからないまま、”封印”を解かれずにいる。加えて原作に藤子不二雄という名前があることも、あるいは”封印”の遠因となっているのかもしれない。

 それが顕著に現れているのが、「オバケのQ太郎」の漫画版が出ないことだ。ひとつにはやはり「さんぼ」と同根の理由があるが、別に、2人で1人だった藤子不二雄が、ある時期を境に1人がFで、もう1人がAとなって独立独歩し始めたことも理由になっている。そのため、分かれるギリギリの時期に描かれた「オバQ」の再刊に、明快なゴーサインを誰も出せずにいるのだという。

 「ドラえもん」が描かれる以前、藤子不二雄の代表作と言えば誰はばかるところなく「オバQ」で、加えて「怪物くん」「ウメ星デンカ」などが並んでいた。漫画がヒットしアニメも人気になった。

 それほどまでの代表作でありながら、AでもFでもあって、AでもFでもないという理由から刊行されないこの奇妙さ。永遠に読まれ続けるべき作品が”封印”されたままであることに、気づき解決を促す時の氏神でも現れないかと願うファンも多いだろう。だが、しかし……。先は長い。

 特撮番組からは、「サンダーマスク」が”封印作品”として取り上げられている。30代後半から40代なら、リアルタイムで本放送を見ていた番組で、「アイアンキング」や「シルバー仮面」といった変身ヒーローに並んで、見られるものなんらもう1度くらい、見てみたい作品と思う人もその世代には多いだろう。

 ところがこれが見られない。理由は何なのか? 推測としてシンナー中毒が取り上げれたエピソードでの、精神に失調を来した人間の描写が妨げになっているのでないか、といった理由も取りざたされている。タイトルも「サンダーマスク発狂」というくらい。やはりこれが理由なのだろうか。

 実はそうではなかった。権利関係が曖昧な時代に作られた作品だけに、権利の後処理がうまくいっておらず、これを解きほぐすくらいなら”封印”してしまうのが妥当といった判断が、どうやら制作者側にあったらしい。

 ならばそこさえ処理さえなされれば、世に出回る可能性もあるかもしれないが、その時にはその時で、また別の問題も起こって来るのだろう。そこで明確な態度を取り、至らない部分については言及・説明した上で、前向きに封印解除へと向かう意識があるかどうかが、同じような”封印作品”をこれからも生み出さないために、必要なことなのだろう。

 これで2冊目となった「封印作品の謎」だが、続く「3」があるとしたらどんな作品が取り上げられることになるのだろうか。宮下あきらの「私立極道高校」など、是非に取り上げてもらいたいところ。連載中、実在の学校の名前が書かれているからという理由で単行本の1巻きは絶版となり、連載分はそのまま世に出ることなく埋もれてしまった。

 学校名など直せば済む話。写真を模写して問題になった池上遼一の「信長」は立派に復刻された。完結していない作品の復刊は難しいのかもしれないが、他に理由があるのだとしたらその辺りを、安藤健二には突撃し、解きほぐしてもらいたい。


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