星をさがして

 張間ミカの「星をさがして」(トクマ・ノベルズEdge、952円)を今すぐSFファンとファンタジーファンと、天文ファンと黒猫ファンは読むように。理由は単純。傑作だからだ。

 滑り出しはペリドという樹上都市。いずこからともなく流れ着いた魔女ガートルードが持てる知識を活用し、若い女性にあるまじきテントでの生活からどうにか抜け出して、星がつまった部屋を作ろうと動き始めるところから、物語の幕が開く。

 星がつまった部屋とは、今の言葉でいうなら一種のプラネタリウム。ただし、電気の力で強烈な光を中心から発して壁に投影し、星を描き出す訳にはいかない物語世界。ルードは夜の闇を司り、星の光を集められる神様のノクスを魔法の力で呼びだして、仕事を手伝わせようとする。

 現れたのが見た目は黒猫ながら、実は夜の神ノクスで、ルードはその黒猫がすぐさま逃げ出してしまわないようにして捕まえ、金平糖と引き替えに自分に従わせることに成功する。もっとも、光を集められる神様を捕まえただけでは、星がつまった部屋は作れない。場所がいる。道具もいる。けれどもそれらを用意するお金がない。

 そこでルードは、裏町でカツアゲをしている無法者からさらにカツアゲしようと画策し、知人を女装させて襲わせたところに現れて、無法者たちを脅かそうと企む。まるで美人局のような悪辣さ。そして無法者を相手に腕力で立ち回れる腕っ節。そこには、魔女っ娘といった言葉から受ける可愛らしさはみじんもない。

 前向きで活動的な魔女といった雰囲気が、そこまでのルードの行動をつづった描写から浮かんでくるが。そんなしたたかさの裏に実は、苛烈ともいえる過去があったことが後に明かされる。ルードの腕っ節が強い理由も、そこでくっきりと見えてくる。見た目によらず一筋縄ではいかない人間だと分かる。

 けれどもしばらくは、魔法の腕は確かでも、貧乏に喘いでいるルードが、潜在的に持っている力とそして、今の実直な暮らしぶりから妖精たちを見方に引き入れ、避暑にやって来たお金持ちの貴族にも慕われて、星の部屋を作るために邁進していく前向きで明るいストーリーが繰り広げられる。

 もっとも、そんな魔女っ娘の細腕繁盛記的なストーリーの合間に、軍人らしき青年と、アンジェリカという少女の話が挟まれることで、明るい物語を割って世界が秘める暗さもじっとりと見えてくる。そしてめぐってきた軍人とアンジェリカの一行と、ルードとの邂逅のシーン。ここに来て、陰惨な過去がルードの心に落としている暗闇の重さが感じられるようになり、やってしまったこと、失ってしまったものへの後悔を引きずって生きる辛さも心に染みてくる。

 一方では、憧れの存在に裏切られる哀しみも描かれて、そんな様々な思いがひとつに重なって、哀しみと傷ましさが色濃く滲んだクライマックスへと進む。初めのうちの明るさや愉快さがまるで嘘のように、残酷で悲しい物語が立ち現れて、読む者の意表をつく。

 ミギーが描く淡い色調のイラストが醸し出す可愛らしさも相まって、ファンタジックでリリカルな物語かと思って手に取る人がいたら、読み終えた時に理想だけでは決してままならないい世界の仕組みの複雑さ、人が生きるには誰かを踏み台にしなければならなかったりする現実の残酷さを感じるだろう。

 そして、そうした事態から離れては生きられない人間という存在の愚かさ、やるせなさを感じつつ、それでも自分の本当の願いを求めて生きる大切さを教えられることだろう。深さと厚みを持っていて、それでいて軽やかさと楽しさも持ち合わせた圧巻の物語を、生み出したのが20歳にも満たない人間だと知ったら、これが才能というものなのだろと強く思うだろう。

 前作の「楽園まで」(トクマ・ノベルズEdge)でも、可憐な双子の姉弟が、異能の力を持つ存在というだけで、宗教によって世界を統べる教会によって迫害され、差別されて逃げまどう世界の残酷さを描きつつ、それでも決して諦めないで楽園を目指す姉弟の清らかさを示して、読んだ人の心に大きなものを残していった。

 続いての作品となる「星をさがして」では、物語を構築する技量を高め、キャラクターを立てる巧みさを高め、そして告げるメッセージの強さ激しさも同時に高めて見せたその才能が、いったい次に何を描くのかに誰しもの興味は向かう。既読の者はそこに大いに期待すべきだし、未読の人は現時点での到達点の高さを感じるために、「楽園まで」と「星をさがして」を今すぐに併せて読もう。

 これが才能だ、これこそが才能なのだと激しく思うだろう。


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