星を喰った男
 先だって死去した小林昭二さんの葬儀には、本郷猛こと藤岡弘さんや風見志郎こと宮内洋さんら「仮面ライダー」一家の方々が大勢出席していました。ハヤタこと黒部進さんやアラシこと石井伊吉(毒蝮三太夫)さんといった「ウルトラマン」チームの方々もいましたが、昭和41年に放映された「ウルトラマン」と、昭和46年の「仮面ライダー」とでは、後者の方がより自分にとって同時代に近く、葬儀を中継するテレビに映る、特撮ヒーローの方々を見る目も、ついつい「仮面ライダー」一家の方に向いてしまいました。小林昭二さんを「キャップ」と呼ぶか「おやっさん」と呼ぶか。そのあたりに微妙な世代の差が出るように思います。

小林昭二さんに先立つこと3年ということになるのでしょうか。やはり「仮面ライダー」一家に入ってしかるべき名優が亡くなっていました。潮健児さんというその俳優さんは、戦後すぐに喜劇のロッパ 一座にはいり、軽演劇を点々としたあとに映画界入り。以後、昭和30年代、40年代の日本映画全盛期に300本以上の映画に出て、若山富三郎さん、高倉健さん、鶴田浩二さん、三國連太郎さんといった錚々たる方々と競演した、名脇役だったそうです。

 しかし「ウルトラマン」や「仮面ライダー」といった特撮で産湯を浸かった私たちの世代には、こうした華々しいキャリアよりも、たった1つの役柄で、今にいたる強い印象を残しました。その役柄は「地獄大使」といいます。

※     ※     ※


 仮面ライダーには、敵役のショッカー大幹部として、ゾル大佐や死神博士といった役柄の人たちが出ていました。なかでも死神博士の天本英世さんは、その独特の風貌で今も高い人気を誇っています。ご本人はそう呼ばれることを余り好いてはいないようですが、ある年齢以上の人たちにとって、あの風貌は俳優・天本英世せはなくショッカー大幹部・死神博士なのです。

 しかし潮健児さんは、道で子供たちに出会っても、おそらく「地獄大使」と呼ばれることはなかったでしょう。ピンと鼻筋の通った大きな鼻と、一重まぶたの切れ長の目は、脇役俳優の中でも一頭抜けた独特な風貌といえます。しかし、いくら鼻と目が特徴だといっても、「地獄大使」の扮装では、その鼻と目だけしか私たちには見えませんでした。おまけに目にはシャドーが入り、眉もピンと跳ね上がったように書き加えられていますから、カブトを脱いでメーキャップを落とした顔を見ても、絶対に「地獄大使」だとは解りません。そのことが災いしたのでしょうか。私の記憶には死神博士=あの怖い顔の役者=天本英世という図式が出来上がっていた一方で、地獄大使=???? ということになっていました。

 唐沢俊一さんの編著になる「星を喰った男 名脇役・潮健児が語る昭和映画史」(早川文庫JA、620円)にも、萬屋錦之介さんが潮さんに「・・・あの地獄大使の格好で来てほしいんだ」と頼む場面が描かれています。素顔の潮さんは、どことなく高倉健に似た風貌の、昔風の2枚目ですから、いきなり家に来て「地獄大使です」と自己紹介しても、子供は絶対に信用しなかったでしょうね。萬屋さんのエピソードでは、「息子がね、『お父さんてえらい役者だっていうけれど、仮面ライダーに出ていないじゃないか』ていいやあるんだよ」という萬屋さんの言葉が出てきます。自分を『』でしゃべる子供にあてはめると、その気持ちはほんとうによく解ります。

※     ※     ※


 「星を喰った男」は、最初は潮さんの自伝として出版され、唐沢さんは編・構成という役割で関わっていたことになっていました。文庫化にあたって編著と改められましたが、書かれているのはまさしく一言一句に至るまで潮健児の言葉です。自分でペンをとらず、語った話をまとめてもらうことから、ゴーストライターというあまり良くない響きを持った言葉を思い浮かべる人がいるかもしれませんが、唐沢さんが文庫化にあたっての前書きのなかで、「もともとペンの人でない潮氏にとってはこれが最も効率的な方法であり、なんら氏の名誉を傷つけるものではに」と名言しています。唐沢さんはまさしく編著者であり、同時に「星を喰った男」は潮健児が隅々まで目を配って語り記した自伝なのです。

 「星を喰った男」を読むと、私たちにとって「地獄大使を演じていたらしい俳優さん」である潮健児さんが、本当に日本の映画界に欠かせない名脇役だったことが解ります。若山富三郎さんの極道シリーズに高倉健さんの網走番外地シリーズ等々、戦後映画史に残る数多くの人気映画に、潮さんの足跡が残っています。
 光り輝く「スター」ではありませんでした。戦後の日本映画界に厳然と存在していたスターシステムの前で、大部屋あがりの脇役だった潮さんは、しょせんは脇役でしかありませんでした。しかし、2等星や3等星があって、天中に輝く1等星が引き立つのです。潮さんは映画という宇宙に欠くべからざる2等星や3等星でした。そして時折激しくパパッと輝いて、1等星をも呑み込むことがありました。まさしく「星を喰った」男だったのです。

 しばらく前に川谷拓三さんが亡くなった時も、先だって小林昭二さんが亡くなった時も、バイプレーヤーの死を悼む言葉があちらの新聞、こちらの雑誌に載りました。潮さんの時もきっと、同じような追悼の言葉が新聞や雑誌を飾ったのでしょう。けれども石原裕次郎さんが亡くなった時、若山富三郎さんが亡くなった時のような賑やかさはありませんでした。

 渥美清さんのように死して国民栄誉賞を受ける俳優もいれば、沢村貞子さんのようにひっそりを人生を終える名脇役もいます。人の死に序列を付けるのはあまり好きではありませんが、沢村さんにしても、それから潮さんにしても、本当に脇役という仕事に誇りを持っていました。賞をもらうよりもスターに、監督に、そしてなによりも観客に喜んでもらえばいいという考えで仕事をしていました。そんな脇役たちの熱意に報いる仕事として、唐沢さんのこの著作は、強くそして重い意味を持っているのです。


積ん読パラダイスへ戻る