星誘いの娘

 死んだら人は星になる、なんて発想がいつ頃どこで生まれたものかは知らないけれど、夜空に煌めく数々の星をながめているうちに、天から地上を見守っているようなその形や状態が、魂を連想させるに至ったんだろうと想像するに難くない。

 なるほど都会の不夜城が放つ人工の輝きに煌々と照らされた夜空では、見える星など星座すら形作れないくらいに少なく、とてもじゃないけれど深遠さをそこに見出すことは難しい。けれどもちょっと都会を離れて、山上なり海岸なり草原から空を見上げてみれば思うはず。全天を覆う夜空いっぱいに散らばった星々の瞬きが、この苦難に満ちた地上に残って生きている人々に優しく語りかけ、熱く叱咤している声なのではないか、ということに。

 これを幸いと言って良いのか迷うけれど、夜空に煌めく星々が決して魂などではなくって、昼を煌々と照らす太陽に類する恒星であり、足下に広がる大地と同じ惑星であることを現代人は知っている。死んでも人は星になんからならず、それ以前に魂なんてものすら存在していないことに気づいている。

 でも、というよりだからこそ、厳然として到来する「死」という永劫の無に対して、何らかの心の拠り所を求めたくなるのもまた人情。魂は存る。星へと還る。やがて再びこの地表へと舞い戻る。そう夢見たくなる。夢見させてくれる物語を求める。

 人は死んだら天へと還る。中空を舞う「星垂る」(ほたる)の輝きに魂を乗せて天空へと舞い上がる。篠崎砂美が「星誘いの娘」(エニックスノベルズ、840円)に描いた世界でも人には魂があって、星になると信じられている。

 ただし。星垂るとなった魂を天へと還すことが出来るのは、「星誘い」(ほしいざない)と呼ばれる神聖な存在だけ。そして天へと還ることができるのは、妄執に囚われていない清い魂だけ。地上に強い恨みを持って星垂るとなった魂は、放っておいては生きている人間たちに仇をなす。そうさせないために「星喰い」(ほしくい)と呼ばれる存在がいて、妄執を持ってさまよう星垂るを喰って消滅させていた。

 ところがある頃から、星喰い自身がとある理由によって人間が抱くような激しい妄執に取り付かれるようになってしまい、並立する存在だった星誘いに挑むようになったことから、世界のバランスが崩れ始める。星誘いによって守護された都・星辰都。戦乱渦巻く世界でもそこだけは武器を持ったり悪意を抱いた勢力が入り込めないようになっていたはずだったのに、星誘いを仰ぎ都を統べる巫女たちに星喰いの妄執が及び、だんだんと不穏な空気が漂いはじめる。

 主人公となる冬青(そよご)は、星辰都に生まれた少年で、幼い頃から星誘いの存在が気になっていて、ついには少女の姿で何十年も生き続けている星誘いの娘・耀華に巡り会う。そこから2人の関係が始まり、遡って耀華にとっては父親にあたる先代の星誘いの水笙(すいしょう)、その妻でもともとは小国の統治者の妻だった籘霞(かすみ)の夫婦と、魂を食べてしまう存在の星喰いとの諍いが描かれ、戻って星辰都の存亡を巡る耀華、冬青の2人と星喰いとの、父母の代から続く因縁の闘いが描かれる。

 都をまるまる守護できるくらいの力を持つ、神様にも近い存在であるはずの星誘いが、割にやすやすと人間たちに背かれ欺かれてしまう展開が気になると言えばなるけれど、知恵を育み、と同時に悪意をも醸成させていった人間の前に、純粋な存在がいかに脆いものであるかを感じさせる描写ともいえ、我にかえってしばし反省させられる。

 それでも純粋さを貫き、2代にわたる因縁を払拭し、悲しみを乗り越えて未来に平和を求めようとしたエンディングに希望を抱く。空に星の瞬く夜、野に螢の舞う季節を迎えるたびに、人を信じて戦い抜いた星誘いたちの姿を思い出し、そんな星誘いたちに従って平和の道を探り続けた星辰都の人々を思い出して、現実を取りまく不安からの脱却を願うだろう。

 完璧にジャパネスク・ファンタジーとも言い切れないけれど、かといってチャイニーズとも言い難く、ましてや西洋風でもない不思議な舞台に、最初のうちはつかみ所が得られず戸惑う。猫十字社の描くイラストが和風の着物になっているのは、付けられた和風な名前から引っ張られたのかもしれないけれど、ストーリー自体は西洋のファンタジーに近いものがあった点も、違和感につながったのかもしれない。蛇足ながら。


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