ハイウイング・ストロール

 時代が来た。小川一水の時代がやって来た。

 すでにして「第六大陸」なり、「導きの星」といった傑作SF作品群を発表し、盤石の人気を獲得してる作家に対して今さら、「時代が来た」とは物言いとして失礼に当たるかもしれない。

 けれども作品そのものの出来とは別に、人気という部分で例えば「マルドゥック・スクランブル」の冲方丁を抜いたとは言い難かった。宇宙を舞台にした作品では野尻抱介という名前が未だ、確固とした位置にあって燦然とした輝きを放っている.

 それだけに、別名義でのデビューからかれこれ8年近くが経っているにもかかわらず、そして今の名前になって殻でも5年の年月を経過しているにもかかわらず、小川一水は”期待の新星”のリストでの、トップグループにいながらもチャンピオン候補と目されるには至っていなかった。

 それが変わる。「ハイウイング・ストロール」(朝日ソノラマ、629円)で確実に変わるとここに断言する。面白い。もうとてつもなしに面白い。時代はいったいいつごろなのだ? たぶん未来? その頃の地球は過度の汚染に戦争の影響から重たい元素の雲に地表を覆われ、人はその上に突き出たかつての耕地、今は「島」と呼ばれる土地に住んで日々の暮らしを営んでいた。

 耕作も漁猟もままならない彼らを支えているのは、「浮獣」と呼ばれる得体の知れない獣とも虫ともつかない生物から摂れる油や肉といったもの。物語はそんな「浮獣」を駆るハンター、「ショーカ」たちを主人公にして紡がれる。

 若いながらも名うての「ショーカ」として活躍していたジェンカ。だが、狩猟に出向いた先で強力な「浮獣」に乗機を墜とされ、パートナーだった後座に乗る撃手にも再起不能の怪我をさせてしまう。

 それでも「ショーカ」を続けるために彼女がとったの、がギルドからの依頼で1人の少年を一人前の「ショーカ」へと育てる仕事。かくして街で暴れ回っていた少年、アルはジェンカに誘われ、彼女の後ろで「ショーカ」としての修行をスタートさせる。

 そこからは反目ありライバルありの成長物語になって、登場してくるさまざまな「ショーカ」たちの個性たっぷりな姿も含めて、キャラクター小説として存分以上に楽しめる。

 凄いのは、それとは別に物語を流れる世界の仕組みに関する設定の大きさ、そして設定が物語と絡んで人類の存在意義をも問う展開へと進んでいく筆裁きの巧みさだ。読み終えた後に浮かび上がるのは、成長への賞賛と、練り上げられた設定への感銘だ。

 クライマックスで明らかになる「浮獣」の正体。そこから人類の未来や存在の是非をめぐって、重く悩ましいものへと向かって不思議ではない設定の物語。けれどもそんな状況を、ある種スポーツ的なフェアプレーのフィールドの中に入れ込めて、いささかのひっかかりに留めた上で、明るさと力強さにあふれたエンディングにしている点が実に巧い。

 日和見とか、甘すぎるとか楽観的とか言われる可能性も確かにある。けれども、真正面から人類の未来の深刻さ、生きることの難しさを考えされるより、嬉しさでいっぱいの物語を楽しみつつ、呈示された深刻なテーマにも気持ちを向けて、考える糧にする方がかえって心に後々まで残りやすい。だからこし支持する。小川一水は正しいと。

 ギルドのそこかしこに現れる、同じ顔をした少女達の正体が、詳細には説明されないまま終わってしまう所に欲求を満たされない不満を持つ。けれどもそうした存在、クローンかアンドロイドかコンピューターが仮想空間に生み出した人工知能たちだといった想像で、埋めれば別に気にならない。

 そうした些少な疑義よりも、登場してきたキャラクターたちが、ひとつの目的に向かって気持ちを結集し、何事かを成し遂げるシーンの心地よさに浸りたい。それでいてしっかりと語られる、人類の存在意義について考えたい。楽しめて、学べる至上のエンターテインメント。なおかつSF。だからここでも再び言う。

 SFの時代が来たと。それは小川一水の時代だと。


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