ヒット&ラン
ソニーにNOと言わせなかった男達

 「ソニーはいかにしてひき逃げ(ヒット&ラン)されたのか?」−そんな文字が黄色い帯に特大の活字で踊っている本が語っているのは、日本はおろか世界でも有数の大企業をもってしても、ハリウッドで成功することがいかに難しいかという事実と同時に、メッキを金無垢に見せる手品師のような才能がありさえすれば、個人でもハリウッドで成功することが可能であるという事実です。

 ジョン・ピータースとピーター・グーバーいう2人の男が、ハリウッドで成し遂げた成功は、およそ日本人のエンターテインメント業界では考えられないほどの富を、彼ら2人にもたらしました。「やっと文字が読める程度のヘアドレッサー」(356ページ)だったジョン・ピータースンは、その話術と技術によってハリウッドで店を構えるまでには成功します。それだけでも傍目には結構な成功に思えるのですが、上昇志向の人一倍強いジョンは、仕事を経て親密につき合うようになったバーブラ・ストライザンドをプロデュースし、「スター誕生」をヒットさせたことで、次第にハリウッドの本業である映画産業の中でも、その勢力を強めていきます。

 いっぽうピーター・グーバーの方は、大学を出てコロンビアとうメジャーなスタジオに職を得ながら、やがて放逐されて自分の製作会社を作ります。最初のコロンビア時代に彼が関わったと「自称」しているプロジェクトには、「追憶」「タクシードライバー」「シャンプー」「さらば冬のかもめ」など、映画ファンならずとも見知っている作品が含まれています。しかし「ピーターが自ら作ったと正当に言えるのは『さらば冬のかもめ』だけ」(122ページ)で、その他の作品はみな、途中から、あるいは最後の段階で入り込んで「クレジット」をかすめ取ったものだそうです。

 不思議なのはこうした事実、つまり他人の成功をかすめ取ることを平気でする人物であることを、ハリウッドにいる人たちなら皆、知っていそうなものであるにも関わらず、ピーターはコロンビアを放逐されたあとも、ハリウッドに留まり続けて、次々と作品をプロデュースしている点です。グーバーには類希なるプロモーションの能力がありましたし、彼がコロンビア放逐後にプロデュースした「ザ・ディープ」は、「スター・ウォーズ」に破れたものの、1977年を代表するヒット作となりましたから、決して無能な映画人ではないようです。しかし同時に、その能力を過大に見せることにも長けていた人物のようで、それが後に、ソニーが彼を買収したコロンビアの経営陣に迎え入れる一因にもなっています。

 ワーナーと親しい関係にあったジョンと出会ったピーターは、一緒に組んで仕事を始めますが、そこでも前と同じように、いや前にも増して自分の名前を”売る”ことに熱を入れ始めます。「フラッシュダンス」「カラーパープル」「レインマン」に「バットマン」。80年代を代表するきら星のようなこれらのヒット作を手がけた人物として、ジョンとピーターはプレス・リリースに書かれています。けれども実際に手がけたのは「バットマン」だけ。「レインマン」をプロデュースしたマーク・ジョンソンの名前は忘れ去られ、製作総指揮に2人と共に名前を連ねるはずだったロジャー・ビーンバウムは、「レインマン」が輝くオスカー像を獲得した夜、彼の妻が枕元にそっとおいた「最優秀プロデューサーと書かれたプラスチックのオスカー像に、慰められた」(246ページ)そうです。

 「バットマン」の成功だけでも、良しとする意見もあるでしょうが、あまりにも高騰した製作費や、どこかで誰かが中間搾取していく複雑な契約の構図によって、「『バットマン』はいまだに赤字」(262ページ)だそうです。20億ドルという、日本ではおよそ考えられない総収益をもたらした映画を作っても赤字という恐ろしい世界。そんな世界に、懸命な日本の企業であり、かつソフトビジネスにも理解と知識を持ったはずのソニーがどうしてのめり込んでいったのか。そこにはかつてVTR戦争で破れたことへの、抜きがたい屈辱感があったことは容易に想像できます。

 ハードの普及に不可欠なソフトを持たなかったことが、ベータを敗北へと導いたという認識が、ぶら下がったメジャー・スタジオという餌、そして釣竿を握った男達の金メッキのように輝く姿に、目をくらませる要因となったのでしょう。案の定、ソニーは「ハドソンホーク」や「ジェロニモ」や「ラスト・アクション・ヒーロー」のような世紀の大失敗作を、次々と送り出しては損を積み重ねる結果を招きます。VTRで勝利を収めた松下電器産業が、ソニーに対抗するかのようにMCAを買収して、ソニーをあざ笑うかのように「ジュラシク・パーク」を成功させたのは、皮肉というより他に言葉がありません。

 それでも松下はハリウッドに見切りを付け、失敗続きのソニーは未だにハリウッドから足を洗えずにいます。ソフトこそが重要であるという認識に、未だにこだわり続けているからでしょう。情報スーパーハイウエーの時代が、ソフト至上主義の考えに一段を重みを付けました。けれどもこの「ヒット&ラン」の30章で、「ソニーは、単に大きいだけで各家庭のリビングルームへ入れるだけの力を持っていないスタジオを、所有しているのを自覚していたのだった」(551ページ)とあるように、緑すっぽ良いソフトを生み出せない会社に、ハイウエー側が興味を示すはずもありません。

 ディズニーによるABCの買収、タイム・ワーナーによるTBSの買収、バイアコムによるパラマウントの買収といった具合に、売れるソフトを持っている他の会社がソフトを供給するためのチャネル(パイプライン)を確保する、あるいはパイプラインが中を流れるオイルの確保に躍起となっている状況にあって、ソニーは米国民の反発を恐れてか、メディアを買収するような大業を見せることをせず、未だ片肺飛行の状態を続けています。ソニーのこれからの出方が注目されます。

 「ヒット&ラン」はソニー失敗の書として注目されるでしょうが、同時にハリウッドで成り上がるための指南書としても読むことができます。ソニーの轍を踏まないために、これから海外展開を考えている企業が、前者の読み方をするのも良いでしょう。けれども個人的には、後者の読み方から得たものを糧として、これから世界に羽ばたこうとしている若い世代の人たちが、アメリカのショービジネスの世界で成り上がっていってくれれば、良いと思います。前者の手法からは優れたアメリカ映画は出来上がっても、すぐれた日本人の映画人は出てきません。

 魑魅魍魎が蠢き、夜郎自大が跳梁するハリウッドですが、こと作品に対しては、誰もが実に厳しい目を向けます。そんなハリウッドでもまれた映画人たちが日本に帰って来れば、自閉のまま滅亡に向かいつつある日本の映画産業に、少しなりとも活気をもたらしてくれるような気がしてなりません。メッキを金無垢に見せる才能だけを身に付けて帰ってくるのだけは、ごめん被りたいですが。


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