萩尾望都・田中アコ短編集
ゲバラシリーズ 菱川さんと猫

 もしも作家として世に出られたとして、書いた作品が好評だから、漫画にしてもっと広めましょうと言われたとき、誰に漫画を描いてもらえれば1番嬉しくて、光栄かを考えた時、真っ先に挙がるのはこの人、萩尾望都をおいて他にない。

 言わずとしれた少女漫画にSF漫画、ファンタジー漫画に耽美漫画にコメディ漫画の大家にして大御所。それでいて高ぶらず身も引かず、今なお現役としてしっかり漫画を描いている。

 なおかつそうした新作が、以前にも増して静謐さを多く讃え、読む者の感情にささやきかけてくるような内容で、静かだけれど確実な感動の中へと、読者を連れて行ってくれる。比較的新しい作品集の「山へ行く」に収録されている「柳の木」など、定点から見た柳の木の周辺に集まったり、通り過ぎていく人たちを、長い年月追って描いた実験的な作風ながら、肉親への愛しさに溢れた内容で、読者の目に涙をんじませる。

 かように自分で物語を考え、ものすごい傑作を次々に発表できるすごい人だけに、他人の原作を漫画にするということはあまりない。あっても光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」なり、ジャン・コクトー「恐るべき子どもたち」なりレイ・ブラッドベリ「ウは宇宙船のウ」といった、有名な作家の有名な作品ばかり。ふいに現れた新鋭の誰も知らない作品など、漫画にするはずがない。

 そう誰もが思って諦めていたところに、田中アコという人の原作を得た萩尾望都の漫画「菱川さんと猫」(講談社、619円)が出たから、驚いたというか慌てたというか。まるで不明な田中アコという名前に、あの萩尾望都が選んで漫画にするくらいだから、実は有名な児童文学の大家の変名か、それとも何かの筋では有名なカリスマなのかと調べたら、これがまるで違っていた。

 まったくの新人。それも「ゆきのまち幻想文学賞」という、青森市にあるタウン誌の編集プロダクションが募っている地方文学賞で、いくつか選ばれた佳作の1本に入った人であるにも関わらず、その賞の選考委員をしていた萩尾望都が作品にいたく引かれた様子で、漫画に描いてそれを漫画誌に発表していき、3本がたまったところで単行本にして刊行した。

 「雪をテーマにし、雪の幻想性を表現した小さな物語」というのが「ゆきのまち幻想文学賞」の応募条件。それだけに、収録された3本のうち、「菱川さんと猫」という単行本のタイトルにもなっている作品には、雪がしっかりとモチーフとして登場する。ただし、雪は決してメーンではなく、猫のそれも化猫がメーンを張って、物語をぐいぐいと引っ張っていく。

 正月休みが開けて、白湯子という名から白湯さんと皆に呼ばれている女性が会社に行くと、いつもは菱川さんという男性社員が座っていた席に、なぜか大きな猫が座っていた。驚いて周囲を見渡したものの、誰もそれが猫だとは気づかない。猫アレルギー体質の社長も、しきりに出るくしゃみを、猫ではなく風邪のせいだと思いこんでいる。

 どうやら見えているのは、昔からそういったものが見える体質の白湯さんだけ。ならばと帰りがけに化猫を呼び止め問いつめると、どうやら菱川さんのところに飼われているゲバラという猫で、菱川さんが突然キューバに旅行に行ってしまったため、代わりに会社に出ていると明かした。

 家族に連絡はしたのかと尋ねると、母親がいるがいっしょにキューバに行っているという。それもアメリカのキューバに。おかしいとはそのときは思わなかったものの、ほどなくして会社の社長から、菱川さんの母親はすでに死んでいると聞き、またキューバはアメリカにはないとも分かって、これはどういうことだとゲバラを問いつめて分かったことがあった。それは……。

 そこに重なってくるのが雪のモチーフ。ちょっぴり悲しくて切なくて、けれども誰かを思い、誰かに思われる関係の温かさというものも感じさせてくれる物語がつづられる。人間なんていつどうなるかわからない。けれどもそうなったときに、人間にも猫にも誰からも思われる存在でありたい。そう思わせる物語だ。

 聞けば聞くほど、萩尾望都が好んで漫画に描きそうなストーリー。仮に原作者の名を伏せて漫画を読んでも、そのまま萩尾望都が考えて描くファンタジックでコミカルで、そして切なさと温かさが滲む物語と感じるだろう。

 これは2編目に入っている「ハルカと彼方」という短編でも言えること。白湯とは学校で同級だった女性の彼方と白湯がばったり再会。彼方の家に招かれた白湯は、彼方にはハルカという名の兄がいて、両親を失ったあと、仕事をして彼方を育て上げたものの、今は引きこもり気味になっていて、家の中にいくつもの水槽を置いて、魚を育て愛でている。

 単に心身が弱っていただけでなく、兄には白湯には分かるような秘密があって、展開の中でそれが明らかにされていく。現世と異界とが重なる幻想的な物語が繰り広げられ、読む者に自分の居場所はどこなのか、本当の居場所はあるのか、といったことを考えさせる。

 さらにもう1本、「十日月の夜」は、妻の出産になぜかおびえ、現世に膿んだところを見せていた男性が、ゲバラたちのような存在と接触し、異界をかいま見て引かれつつ、妻が自分を求める声に、現実の素晴らしさを自覚するというストーリー。人間の世界と猫の世界とが、シームレスにつながってわき上がる不思議な空気を感じさせてくれる。

 萩尾望都といえば最近も、「レオくん」という猫が擬人化して人間と暮らしているストーリーも描いていた。飼い猫を漫画にするくらいの猫好きにして、猫と人間とが交わる物語にも関心があったからこそ、雪に加えて猫が出てくる物語を慈しみ、自ら漫画にしようと考えたのかもしれない。

 「ゲバラシリーズ」と銘打っているからには、原作者には同じ白湯とゲバラをペアにしたような話が他にもいくつかありそうで、萩尾望都がそれらを漫画にもしていってくれそう。どんなゲバラのお調子者ぶりを見せてもらえるのか。そこにあって人には見えない、異界との重なりを感じさせてくれるのか。期待して待とう。

 あるいは「ゆきのまち幻想文学賞」に応募して、萩尾望都に漫画にしてもらうというのも手かもしれない。主役なり脇役に猫を持ってくれば、選ばれ漫画にもしれもらえる確率は高いのか違うのか。結果を思えば、試してみる価値は存分にある


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