ひらけ駒! 1

 勝ってこその勝負事。その世界に生きる者たちを描くドラマが、上を見上げてギラギラとしたものになるのは当たり前だ。あるいは、才能ゆえにつき当たった壁を見上げて、落胆し呆然とし挫折していく話になるのも仕方がない。

 だから、将棋をテーマに描いた作品の多くは、柴田ヨクサルの「ハチワンダイバー」のように、どん底からはい上がっていくような、熱く激しい物語になるか、羽海野チカの「3月のライオン」のように、極めたはずの栄光のむこうに、果てしなく続く道が見え、孤独感に苛まれながらも進んでいく、厳粛さを帯びたものになる。

 そんな、将棋漫画の列に新たに加わった、南Q太の「ひらけ駒! 1」(講談社、543円)は、熱く激しくもなければ、厳粛で深刻なものにもなっていない。むしろ、暖かくて優しげで、心をほこほこと温めてくれるような物語。それはたぶん、子と母という関係をメインに描きつつ、その間をつなぐ題材として、将棋を持ってきているから、なのかもしれない。

 若々しげでスタイルもなかなかな母親がいて、その息子の宝がなぜか将棋に興味を持ちだし、道場やスクールに通っては、めきめきと腕をあげている。スポーツに勤しむこともなく、友人とふざけることもなしに、将棋にのめりこんでは将棋会館に将棋盤を見にいったり、子供が参加できる将棋の大会に出ては、対局を楽しんでいる。

 楽しみながらも、勝ち負けには真剣さをのぞかせる宝とは少し違って、母親はいささかミーハー気質があって、将棋を取り巻く人々や、将棋の世界そのものに、勝負とは無関係に関心を示すようになっていく。それは、愛おしい息子が興味を持ったものだったら、いっしょになって楽しんであげたいという、母親としての心があっての関心。そんな、母親と息子との、とても良好そうな関係が「ひらけ駒!」には描かれて、ギスギスとして世知辛い親子関係が、多々あったりするこの時代に、ひとつの光明をもたらしてくれる。

 父親の姿も、その存在の痕跡すらも一切見せない描写は、南Q太という作者のパーソナリティを織り込んでのものなのか、あるいは、純粋に母と息子との良い関係を描きたかったのか、判断する術はない。ただ、背後の情報をいっさい排して、純粋に物語と対峙した時、今に限らず昔からあって、好奇と同情の入り交じった視線で見られることもあった、母ひとり子ひとりの関係の中に、将棋という題材を入れることで、コミュニケーションを芽ばえさせ、温かさを生み出せるのだと知らしめる作品だと、感じてもらうこともできそうだ。

 研鑽を積み、連勝を重ねてどんどんと強くなる息子に引っ張られるように、母親も将棋の勉強をして、そして段々とハマっていく。棋士に憧れ、ネット将棋を指して勝敗に一喜一憂し、果ては息子に勘所を危機に行ったりもする母親ののめり込み方は、なにかに興味を持った時に、人が取るだろう行動が示されていて、妙なリアリティを感じさせる。

 どんどんと入ってくる新しい知識をつなぎ合わせ、横へと広げ前後へとさかのぼって全体像を把握したい。そんな行動パターンが、「ひらけ駒!」の母親に見られて、あらゆる事象における人のハマるプロセスを感じさせ、微笑ませる。息子といっしょに出かけた古本屋で買った、専門誌のバックナンバーに掲載されていた昔のランキングで、村山聖という騎士の名前を見つけ、彼を題材にした「聖の青春」という本を読んでいく流れが、少しでも将棋を知る人たちの多くを、納得させそうだ。

 それと同時に、息子を失った母親の言葉も出てくる「聖の青春」を読んで、「ひらけ駒!」の母親が何を思い、作者である南Q太が何を思ったのかにも、関心が及ぶ。きっと、胸に去来するさまざまな思いがあったに違いない。そういう本だ、「聖の青春」は。

 棋士の固有名詞が、割と出てくるのも面白いところ。たとえば、千駄ヶ谷にある将棋会館にいくと、そこには田丸昇八段がいて、優しそうな顔とあの長髪を見せてくれる。将棋の大会に行ったら、そこには美人で鳴らした高橋和女流三段がいて、少年と2枚落ちで将棋を指しては負けてしまい、少年を誉めつつ優しい言葉で的確な指導をしてみせる。

 その優しさと美しさに、少年が鼻血を流すといったエピソードは、高橋女流三段の美貌を見知った人には、なかなかのリアリティを感じさせる。そうしたリアリティを南Q太がどのように身につけ、今はどれくらいまで行っているのか、興味が募る。

 四段に昇進して、プロになったばかりの時は細面で美少年だった郷田真隆九段の、当時と今との絵を描いてみせるところは、なかなかの腹の据わりっぷり。それもまた事実である以上、仕方がないこととはいえ、こうして比較されてしまうからには、郷田九段には将棋とは別ののがんばりを期待してみたくなる。頑張ればあるいは「ひらけ駒!」の少年の父親に、プロの棋士がなるような事態も、起こるかも知れない。

 ともあれ、物語はまだ始まったばかり。宝少年はプロへの階段を駆け上がっていくのか。そうなった時に物語は熱さと激しさを増すのか、それとも厳しさと辛さを醸し出すのか。いや、ここはやはり最初のとおりに、温かさと優しさに包み込まれるような感じを持ちながら、将棋をテーマに母と子の、そして人間たちの関係を描いていって欲しいもの。立ち上る心地よい空気が、読む人たちの親子の絆をより強くし、そして将棋への関心を増していくことになるだろうから。


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