走ることについて語るときに僕の語ること

 走りながら書いてきた。そして書きながら走ってきた。

 村上春樹にとって走ることと書くことは、人生においてどちらも同じくらいに大きな意味を持っている。健康のためとか、レースで勝つためといった理由はない。走りたいから走ってきた。ずっと走り続けてきた。

 小説も同じだ。賞のためとか、読者のためというのではなく、自分が書きたいから書いてきた。ヤクルト・スワローズのデイブ・ヒルトンがヒットを打って2塁に到達した瞬間。居合わせた神宮球場で「小説をかいてみよう」と思い立った。

 誰に見せたいわけでもない。書き上げられるかだけが重要だった。そして書き上げ、応募し、受賞してデビューした。あとは誰もが知るとおり。世界が認める村上春樹が、ここにいる。

 なるべくしてランナーになった。なるべくして小説家になった。そんな村上春樹が語ることは、ランナーになりたい人や小説家になりたい人の役には、たぶん立たないだろう。こう書けば賞がとれるとも、あれを書けば世界で認められるとも言っていないし、こう走れば長い距離を走り切れるとも言っていない。

 けれども。何かにせっつかれて生きている多くの現代人にとって、走ることでも小説を書くことでも、ほかの何でもいいから思うままに生きていく、そんな心地よさというものを強く感じさせてくれる。

 ハワイを走り、アテネを走り、新潟を走り、ボストンを走った。20年以上にわたって世界を走ってきた記憶を、小説やルポルタージュの合間に書きためまとめた。それが「走ることについて語るときに僕の語ること」(文藝春秋、1429円)だ。

 雑誌にエッセイとして連載すればそれなりに、お金だって入っただろうに、そうしたビジネスとは切り離して書いてきた。自分にとって書くこととは、走ることとは何なのだろうと自問しながら書いてきた。

 だから、村上春樹にとって本当に走ることが、小説を書くことと切り離せないのだとわかる。どこまで追い込むか。どれだけ休むか。能力をどこまで信じるか。そして疑うか。走っている自分への信頼と懐疑を創作にあてはめ、自問自答しながら作品を形作って来た。

 どこか醒めていて、なのにズキリと心の真ん中を突く作品群はこうやって生まれて来た。だから、走っていなかったら今の自分の作品はないという。長距離を走り続ける気持ちが長編の物語を形作っているのだという。

 「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」は瞬発力だけで書いた。時代に吹く一瞬の風を鮮やかに切り取って描いたそれらは、見栄えも鮮やかで人目を引いた。しかし違うと感じていた。

 専業作家になろう。本当に書きたいものを書こう。そうして書いた「羊をめぐる冒険」こそが、書くことについての自分の出発点になった。同時に走ることについても原点になった。

 走ることと、書くこと。村上春樹にとってそれらはまったく同じものなのだ。

 今も走り続けているという村上春樹が、書き続けているものが今と大きく隔たった場所に向かうことはないだろう。それらは淡々としているようで、けれども着実にマイルを進める言葉によって紡がれ、やがてどこかへとたどり着き、何かを体に刻んで、そして次へと気持ちを向かわせる。

 でも。いつまでも人間は走れない。もしも走れなくなった時、村上春樹はいったい何を書くのだろうか。少しばかり興味が湧いた。


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