闇に消えた怪人

グリコ・森永事件の真相
 大学に入った1年目の春。ディスカウントストアの食品売場でアルバイトを始めた時には、すでにその事件は始まっていた。

 江崎勝久・江崎グリコ社長が自宅から何者かに拉致・監禁され、3日後に河川敷にある水防倉庫から地力で脱出したのが昭和59年3月。直後から放火、脅迫といた行為がグリコとその関連企業に対してなされ、やがて犯人は「かい人21面相」という不敵な名前で、世の中に向かって挑戦状を叩き付ける。その後1年半にわたって、「かい人21面相」によって食品会社が次々と脅迫されていったこの事件は、後に「グリコ・森永事件」と呼ばれ、日本中を恐怖と混乱に陥れることとなる。

 売場面積の小さいディスカウントストアの食品売場では、はじめからグリコ製品は取り扱っていなかったから、ゴールデン・ウイーク明けになって「かい人20面相」から「グリコのせい品にせいさんソーダいれた」という内容の挑戦状が送られた時も、品物を店頭から撤去する事態にはならなかった。しかし6月になって「グリコゆるしたる」と「かい人20面相」からグリコあてに休戦宣言が送られ、表面的にはもう「グリコ事件」は終結したと思われていた10月になって、今度は森永製菓に対して菓子に青酸を入れるという脅迫状が届き、事件は再び表面化する。

 グリコは仕入れていなかったディスカウントストアでも、人気製品の多かった森永は、さすがに数多く仕入れていた。事件が明るみに出た直後に、アルバイトが総出で森永の製品を段ボールに詰めて、バックヤードにしまい込んむことになった。段ボールの森永のお菓子が、その後どうなったのか記憶にないが、問屋に返せるような普通のスーパーとは違う店だったから、もしかしたらバイトが総出で食べちゃったかもしれない。

 一橋文哉の「闇に消えた犯罪 グリコ・森永事件の真相」(新潮社、1600円)は、そのタイトルが示すとおり、今なお人々の記憶に鮮明に残っている「警察庁指定広域重要114号」すなわち「グリコ・森永事件」を、事件の発生から10余年を経た今、ふたたび問い返してみようとしたルポルタージュである。奥付に作者の経歴がなく、一橋という著者がどんな人物なのか解らないが、文中の記述から推察するに、事件記者としてこの「グリコ・森永事件」の取材・報道に関わった人物であろう。

 事件終結後は、忙しいルーティン・ワークの日常へと戻っていった一般紙の記者とは違っているようで、仕事の合間を縫って、時には休日までも利用して関係者の洗い出しを行い、身の危険も覚えるような取材を幾つも積み重ねて、事件の謎に迫ろうとしたその姿勢には、同じ職業を選んだ者として見習うべきところが多い。

 本書は、筆者が北陸のある街にある病院に、入院中の壮年の男を訪ねる場面から始まっている。警察の捜査線上に幾度も浮かんだこの男を、けれども警察は「いろいろ事情があって・・・」といって、捜査を進めようとはしなかったといいう。筆者の問いつめに対して、男は激しくせき込み、慟哭していた・・・・。

 以下は、事件の発生から経過、そして終結に至る過程を追って進んでいく。捜査線上に浮かんでは消えるさまざまな犯人像。怨恨なのか、それとも金目当ての犯行なのか。右翼も左翼も入り乱れ、数々の闇の紳士達が不気味にその姿を現すようになって、事件はますます混沌の度合いを深めていく。順を追って説明していく筆致は端的で明解。かつて新聞報道などで、なんとなく事件の流れを見知っていた者にとって、改めて事件の経緯をおさらいするのにちょうど良い。加えて、文中示される数々の傍証が、事件が解決しなかったことの不思議さを、少しは理解するための資料となっている。

 ただ、未解決の事件を扱ったノンフィクションの限界なのか、結局読者を納得せしめるだけの犯人像を提示出来ずに終わっているのが、仕方がないとはいえ残念だ。もちろん筆者が責めをおう筋合いのものではないく、残念という気持ちは、そのまま憤りに変わって、事件を解決できなかった警察なり、報道にあっていたすべてのマスコミに向かっているのだが。

 ラストに名探偵が登場して、鮮やかに事件を解決してみせるのは、やはりフィクションのミステリーの世界だけの話なのだろう。事実は小説より複雑怪奇。単純明解なフィクションの世界にひたっている方が、やはり私は心地よい。


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