ゴールデン・ボーイ

 2008年秋に起こったリーマンショックからこちら、ただでさえ伸び悩んでいた日本の経済は、活力を失い、沈滞ムードが蔓延して、若い世代の未来へと向かう意欲を、大きく激しく損なっている。加えて2011年3月11日に起こった東日本大震災が、疲弊した日本の経済に、さらなる負担を強いることは確実。福島第一原発の過去に類をみない事故も、電力不足に伴う経済活動の更なる停滞を招きそうだ。

 以前だったら、それでも日本人の勤勉さと頑張りが、新しい製品を生みだし世界へと広がり、日本の経済を支えていた。けれどもそれも、未来に成長が約束されていたから出た力。低賃金に支えられ、技術も持った新しい国々の台頭は、日本の優位性を損なって、未来の可能性をとてつもなく狭めている。国内に希望を抱けない才能は、海外へと向かい日本復活を可能性にとどめを刺す。

 何とかならないのか。やりようはある。政治がリーダーシップを取り、日本に残った活力を結集して、未来へと向かう土台を作る。そのために必要な資金が足りないというのなら、増税をしてでもかき集める。それは一時、国民に負担を強いることかもしれないが、今を語り未来を語りさえすれば、納得は必ず得られる。必要なのはビジョン。そしてそのビジョンを実現する実行力だ。

 そんな実行力を持った政治家が、真面目に、真っ当に、人として動き、語るだけで、日本はガラリとその雰囲気を変えるだろう。もっとも、真面目で真っ当であることが、今ほど生きづらいというのもひとつの真実。足りないお金を引っ張り出すため、増税が必要とリアリティのある言葉をつぶやくだけで、国民から嫌われ、マスコミから叩かれ、現場から手を引かざるを得なくなる。

 すべてが短絡に押し込められた現代。長いビジョンを示し、それに向かって一致団結して突き進むという、真っ直ぐさと真っ当さが通用しなくなっている。いったいどうしたらいいのだろうか。どうしたら日本は立ち直るのだろうか。「オカルトゼネコン富田林組」(産業編集センター)でデビューし、理不尽なことも多い企業社会を、ユニークな筆致で描き出した蒲原二郎が書いた「ゴールデン・ボーイ」(角川書店、1500円)という物語に、そんな嘆きへのひとつの答えが示されている。

 大人気の韓流スターにそっくりなため、仕事先で女性からアプローチされ、ストーカーまでされ、果ては自殺騒ぎまで起こされて居づらくなり、外資系コンサルタントの仕事を辞めて、故郷に帰り、県会議員をしている父親の後を継ごうと考えていた勝林太郎。とはいえ、選挙までまだ時間があり、才能をくすぶらせるのも勿体ないと、上司の口利きで、ある国会議員の秘書として、政治家修行をするこになった。

 ある国会議員とは 金議院と呼ばれる院に所属している円城寺公彦。衆議院ではないのか。参議院でもないのか。そのとおり。本当は謹議院という名のその院は、功成り名遂げた社長や資産家といった面々が、選挙ではなく推挙によって任命されるという組織。勝林太郎が使えた円城寺公彦も、飲食チェーンなどを手広く経営し、大成功した今、金議院議員となって日本のために働いていた。

 選挙を経ず国民の信託を得ず、金でその地位を買ったに等しい国会議員に、いったい何ができるのか。そもそも清廉潔白なのか。当然浮かぶ疑問だが、選挙といういわば人気投票によって選ばれる議員たちが、体面を保ち欲望をかなえる態度を見せて当選を果たしたものの、しょせんは口から出た甘い約束。実現などしないことの方がむしろ多い。さらには次の選挙を勝つために、支援してくれた人に稼がせようとして、国策とはしばしば違った道を歩もうとしたりもする。

 対して、金議院議員は金も権力もすでに持っている成功者たち。議員として金儲をする必要もなく、人気を取って票を稼ぐ必要もない。ただ名誉のために、国家百年の計のために働こうとする強い意志の持ち主たちばかりだ。勝林太郎はそんな金議院の中で、円城寺公彦が国家財政の充実と、産業活性化に役立つある法案を成立させようとするのを、秘書として手伝う。

 理想を語れば空論と誹られ、現実を語れば非道と貶される今の政治状況。だから、誰もリスクをとらず冒険をせず、大過さえなければと当たり障りのない政治を行ってしまう。それでは絶対に羽ばたけない。上には向かえない。政治家が犠牲になれば良いと言うが、それにも限界がある。国民もメディアも含めて理解し、納得してリスクを取り、冒険をしようとする雰囲気を、作り出す必要があるだろう。そうしなければ今のこの難局を、脱することは不可能だ。

 政治家もメディアも国民も責任から逃げ、冒険を避けている状況に、自分をかけて政策の実現に邁進する金議院議員の姿が、未来を拓くための示唆となる。クライマックスに描かれる、円城寺公彦と同じ金議院に所属する老政治家の気骨ある姿には、ただひたすらに頭が下がる。涙もこぼれる。文字通り、国のために殉じた老政治家の凄まじさ。読むほどに心を打たれ、省みて翻って現実を見て愕然とさせられる。

 日本をひっくり返したい、美しい国にしたい等々、大きなことを言ってみせても、かの老政治家のような気骨を見せた政治家が、現実にどれだけいたか。実現させた政治家が何人いたか。選挙で大敗し、党が政権を降りる端緒を開き、責任を取るどころか半ば逃げ出すように首相の座を放り出しながら、今になって現政権を非難するような手合いばかり。そこに人心を感動させ、感涙させる“覚悟”は見えない。

 見ばえの良い政策ばかりを出して、国家百年の計を軽んじ国を迷走させる政治家と、その尻馬にのって騒ぐメディア、さらには上っ面に振り回される大衆をも俯瞰して批判しつつ、金と権力を持った者だけが清廉たりえるとう皮相さを示し、この先にだったらどうすべきかを、「ゴールデン・ボーイ」という物語は示してくれる。誰もが読んで、ここから探ろう。明日の政治を、未来の世界を。


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