ジブリの世界を創る

 江戸東京博物館で2014年7月27日から開催の展覧会「思い出のマーニー×種田陽平展」でサイン入りで販売されていたのが、この展覧会の主となっている美術監督の種田陽平が書いた「ジブリの世界を創る」(角川Oneテーマ21、800円)という新書。著者の種田陽平は言わずと知れた映画美術の第一人者で、「スワロウテイル」の岩井俊二監督や「THE 有頂天ホテル」の三谷幸喜監督といった、実写の優れた監督たちが撮る映画で、その舞台的であったり異界的であったりする空間をセットとして作り上げては、実写ゆえのリアリティの中に映画ならではのフィクション性も混ぜて“それっぽさ”を醸し出すという、他の人にはなかなかない手腕を見せている。

 「THE 有頂天ホテル」ではそれこそホテルのロビーから廊下からまるまる造ってみせた上に、ホテルに備え付けの便せんだっけペンだったりと、細かい道具までデザインして映画の中にホテルが実在する世界を作り上げていたし、やはり三谷監督の「ザ・マジックアワー」では、街路を造り両脇に立ち並ぶ建物の一部に人が入れる二階を作って、その部屋から街路を見下ろせるようにして、ひとつの街角をそこに現出させたみせた。

 これも三谷監督の「ステキな金縛り」では、亡霊が現れる法廷を作りつつそこを実物のような平坦ではなく、微妙に段差を付けることで劇として見通しが利くようにしたし、そして三谷監督の最新作となる「清洲会議」では、実際にはあり得ない中庭を囲んで円環状となった館を創案して、天下分け目の会議の空間として見せたりと、ただセットを組んだり大道具小道具を用意するだけではなく、映画世界にマッチして物語を支える美術を生み出し、提供してきた。

 そんな種田陽平が、押井守監督の「イノセンス」におけるプロダクションデザイナーという仕事に続いて、スタジオジブリ製作の米林宏昌監督による長編アニメーション映画「思い出のマーニー」でもアニメーションの仕事を担当。なおかつ今回は美術監督として、作品に描かれる世界を創造する立場としてより深く関わることになった。「ジブリの世界を創る」には、そんな「思い出のマーニー」での経験などが、これまでの仕事ともに綴られていて、映画の美術監督としていったいどこに気を配ってデザインして来たのか、そして「思い出のマーニー」ではどこに注意を払ったのかが分かるようになっている。

 そこで興味深かったのは、ひとつは物語の大きな舞台となっている湿っ地屋敷の造形で、マーニーという少女がいる部屋が同じ屋敷の片側といった感じではなく、別棟として独立したような感じに見えるようにしたり、中に人がいるのを描くのは面倒と分かりながら、二重窓にして格子を付けてそこに閉じこめられているような感じを出したりと、いろいろな工夫をこらしたという。

 これは映画の背景をデザインするという美術監督に一般的な仕事の行きを超え、映画に登場するキャラクターたちの立ち位置にも深く関わること。普通だったら演出の人なり脚本の人が考えるべきことのように感じられるけれど、種田陽平は美術監督としてそこに踏み込み、空間を作り上げたといったところが今までにない事例として興味を誘う。そんな舞台設計から引っ張り出さるように、マーニーであり杏奈といった少女たちのキャラクター造形が成り立っていったのだとしたら、本編の米林宏昌監督に負けず種田陽平も、「思い出のマーニー」という映画において重要な役割を果たしているということになる。美術監督でありながら。

 ともすれば越権ともいえそうな行為に見えないこともないけれど、もしかしたらジブリとして、そうした普通にはいない才能の越権が作品世界に何か当たらし効果をもたらすといった目論見もあって、種田陽平を美術監督して迎え、作品世界にどっぷりと浸らせたのかもしれない。アニメーターの発想からは出てこない作劇であり、空間といったものの姿を見せるといった。実際、部屋のサイズや椅子の高さもアニメーションの人が感覚でやっていって整合性がとれない部分が出るところを、種田陽平はちゃんと見つけて高さを決めたり、ドアの開く仕組みを考えたり、天井の高さを整えたりしたという。

 何しろ1年くらいスタジオジブリに通っては、絵コンテを元にしてアニメーターが描いたレイアウトをいったん、自分のところで見てチェックして、建物として、あるいは美術として整合性がとれるように整えてから戻していたという。それぞれがプロフェッショナルで、経験も持ったアニメーターたちが、思い思いの体感で絵を描いていくと、どうしても空間の広さなり、形状なり分布なりに整合性がとれないところが出てきてしまう。それを整えるという、普通の美術監督ではやらない作業を介在させることによって、「思い出のマーニー」という映画における、実在はしていないけれど、実在しているような世界であり、人間がそこにいて不思議はない世界というものが出来上がったのかもしれない。

 今までのスタジオジブリ作品、あるいはアニメーション作品とどこか違った空間設計のしっかりと整えられたような印象が「思い出のマーニー」という映画にあるのだとしたら、それは美術監督として種田陽平が関わったから、とうことになる。その発揮された才能に脱帽する一方で、アニメーターも普通はやらないそうしたことを、今回はそれで行くと行って受け入れたことにも敬意が浮かぶ。双方の意見と納得から生まれた世界観。そう分かってからまた映画を見に行くと、なるほどだから見ていて落ち着くんだといった感情、その立ち位置が示すマーニーの心情といったものが見えてくるだろう。宮崎駿監督も高畑勲監督も関わっていない劇場版長編アニメーションという触れ込み以上に、種田陽平が美術監督を務めた劇場版長編アニメーションという捉え方で見る方が、今後のスタジオジブリ作品、あるいはアニメーション映画を語る上で重要なような気がしてならない。

 展覧会の場にも飾られているけれど、「思い出のマーニー」で杏奈が描いたスケッチは種田陽平の手になるもので、それを描くにあたって色々と苦労したという話も出てくる。アニメーターとは違う絵が欲しいと言われて描いたら、マーニーに似てないと言われだったらと頑張ると、今度は巧すぎると言われたというからさあ大変。そんな試行錯誤の中から自分の中にある「少女の心」というものが現れてきたという。少女の絵といえば米林宏昌監督も得意にしているけれど、そうしたジブリの文脈からは外れた美少女の姿なんだと分かって見ると、また違うの赴きもありそうだ。

 新書によれば種田陽平がアニメーションにおける美術、あるいは世界の造形といったものに興味を抱いたきっかけが、東映動画によって作られた高畑勲監督の「太陽の王子ホルスの大冒険」だったとか。そこで場面設計、美術設計を手掛けたのが誰あろう宮崎駿監督だった。それを見て映画美術の世界へと惹かれ、飛び込んでいったということはつまりスタジオジブリの、というよりむしろ宮崎駿監督の申し子ともいえる種田陽平が、めぐりめぐって宮崎駿監督の直接ではないにしても、その下でひとつの才能を発揮したという円環の構図に、何か運命といったものが感じられてしまう。だからこそこれ1本で終わりにしないで、また何かやって欲しいものだけれど、しかしスタジオジブリはいったい次に何を作るのか。そこが最も気になる。


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