Gファイル 長嶋茂雄と黒衣の参謀

 凄まじくも素晴らしいノンフィクションの登場だ。

 かつてプロ野球界の盟主を自称し、実際に人気でもトップクラスにあったものの、ここ何年かをかけて盟主の座を実力的にも人気の面でも滑り落ち、転がり続ける読売巨人軍。その巨人軍にとって、ほとんど最後の輝きだった1996年の奇蹟の大逆転劇、通称「メークドラマ」の裏側にあった”真実”が、ここに明かされる。

 題して「Gファイル 長嶋茂雄と黒衣の参謀」(武田頼政、文藝春秋、1905円)は、世紀の「メークドラマ」を演じてみせた当時の巨人軍監督、長嶋茂雄に戦術的・メンタル的な助言を与え続ける一方で、外国人選手のスカウトなり、選手たちのコンディショニングなりといった現場の最前線でも力を発揮して、巨人軍の快進撃を支えた1人の人物の存在を、白日の下にさらけ出す。

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 名を河田弘道というその人物は、日本体育大学で器械体操の塚原直也を、同じ学生ながらコーチし後の躍進を縁の下から支えた後、米国に渡り入学した大学から引き抜かれる形で、米国でもスポーツの名門として知られるブリガムヤング大学に移り、そこで器械体操のコーチを務め、実績を買われてベースボール、アメリカンフットボール、バスケットボールといった人気スポーツのアドミニストレーターという、大きな責任を持った地位に上り詰める。

 まさに逸材。それに目を付けたのがプロ野球への参入を目論んでいた西武鉄道グループの総帥・堤義明で、西武ライオンズの発足とともに河田を引き抜きチーム作りの重責を担わせ、河田も堤の期待に応える。それでも政治を巻き込み振るわれる堤の剛腕の翼下にいることの危険性を感じ、また先代の康次郎以来の番頭や、義明が直々に取り上げた学友たちが周辺を固める会社の経営に違和感を覚えて退任する。スポーツをビジネスとして確立させようと考えていた河田らしい振る舞いだ。

 その後、世界陸上に関連した仕事を日本のテレビ局で手がけていたところに、当時は最初の巨人軍監督を降りて浪人を続けていた長嶋茂雄が、世界陸上のリポーターとして現れ、河田と知り合い昵懇になる。長嶋の明るい人柄に強く惹かれファンになった河田は、長嶋が12年ぶりに巨人の監督に復帰するに当たって、是非にスタッフに入って欲しいと長嶋に乞われ、これに応じることにした。

 もっとも選手としての実績はない河田がコーチに入ることはなく、また巨人軍とは縁もゆかりもなかった身を自覚して、フロントにも入らなかった。立場は裏方。あるいは黒幕。長嶋監督を徹底的に支えることを絶対的な目的に選び、一種の個人秘書として情報集めとその分析、さらには具体的な戦略の立案を行い、毎日のように長嶋に報告し続けた。

 球場には入ってもグラウンドには降りず、ロッカーに立ち入り選手たちと関わることもしない。ただひたすらにスタンドから試合を見ては、選手のコンディションを観察して長嶋に報告する。球団内部に作った情報網から、選手やコーチたちの言動を集めて今、コーチたちの間にどんな感情が渦巻いているかを分析し、どんなアドバイスが必要なのかを長嶋に提言した。

 これこそが「Gファイル」。河田が今なお保存し続け、最近になって公開を決断して武田頼政に見せ、その重大さ、奥深さを感じた武田の手になる「プレジデント」での連載がまず始まり、今回こうして1冊の本にまとまった。

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 河田が行っていたのは、何もスパイ活動ばかりではない。海外で一般化し始めていて、日本でもこれからのアスリートには必要と考えられた、PNFと呼ばれる理学療法の分野から発達してきたストレッチの手法を取り入れようとした。怪我の多い巨人軍の選手たちの体調管理、機能向上に役立てるのが狙い。松井秀喜もPNFの恩恵を受けた1人で、シーズン入りは無理だと思われていた故障が、PNFによって完治し、シーズンに間に合い、年間を通じて大活躍した。

 長嶋の優勝に必要不可欠な選手層が足りなければ、米国を拠点に活動していた時代から続くネットワークを活用して、チームの状態に照らし合わせて必要となる戦力を選び、獲得した。舌を出しながらも凄まじい速球を投げて、打者のバットをへし折り続け、96年の優勝に貢献したガルベス投手や、崩れかかった投手陣を引き締めたクローザーのブリトー選手を獲得して、日本に送り込んだ。結果は大成功。「メークドラマ」の立て役者となった。

 まさに八面六臂の大活躍。河田の仔細にして克明なメモと、現代のスポーツビジネスにとって当たり前とも言える仕組みを作り上げようとした奮闘があったからこそ、巨人軍は1994年に中日ドラゴンズとの激闘を制し、130試合目という最後の最後で優勝を果たした。96年には11・5ゲーム差をひっくり返して、奇蹟の優勝を成し遂げた。河田なくしてはこの成績はあり得なかった。

 ロス五輪を契機に世界のスポーツは仕組みを大きく変えた。スポーツビジネスという枠組みの登場。メンタルケアやストレッチングによる肉体のケアを通して、選手たちの心身をベストな状態に保つ必要性への認知度向上。そうした先進的なシステムを日本に取り入れ、野球を近代化させよう、そして大好きな長嶋茂雄監督をもり立てようと河田弘道は働き、結果も出した。最上の結果だった。

 にも関わらず河田は、97年のシーズン終了とともに巨人軍との関わりを断つ。河田を追い出した巨人は、原辰徳監督の初年度に少しだけ勢いを取り戻すものの、故障者の続出があり、メンタル面の低下もあって、以後は低迷の泥沼にはまっていく。日本のプロ野球は、というよりも読売巨人軍は、30年以上も昔の実績に根ざした情実と、年功序列と派閥が幅を利かせる旧態依然とした体制に戻ってしまう。

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 何が河田を妨げたのか。ひとつには巨人軍という金看板を背負い、またV9時代を選手として戦い、結果をつかんできた者たちが、自らの経験だけを語り、それに選手達を合わせようとするだけで有効な手だてを何ひとつ打てないまま、いたずらに足を引っ張り合い、牽制し合っていたことがある。

 天才故に秀才への有効な指導の方法論を持たず、結果として後進を指導できなかった堀内恒夫も、長嶋の躍進を妨げ、河田の改革を妨げる役目を果たしてしまった。ケアすべきブルペンの投手たちの状況を把握できず、長嶋監督に報告も出来ないでいたまま、長嶋の勘だけに頼った采配を助長し、結果としてチームの成績悪化に“貢献”してしまった。

 縁故で採用され来た球団職員との反目もあった。現代の最先端を行くトレーニング方法を取り入れようにも、古くからいるトレーナーたちで固められた医療部門がそれを許さず、選手たちを何人も潰してしまった。それでも松井秀喜選手は、河田が導入した新しいコンディショニング方法に傾倒し、自らを直し鍛えて大打者へと成長していった。

 河田が抜け、河田が連れてきたコンディショニングのスタッフが、放逐されるなり辞去するなりした後の巨人軍に残った松井選手も、きっと不安を覚えていたことだろう。怪我の多い人工芝をいつまでも変えようとしない体制にも愛想を尽かしたのか、FAを利用してニューヨーク・ヤンキースへと移籍を果たす。

 新聞を売るための道具としか、巨人軍を考えていない親会社の読売新聞から来る面々が繰り広げる権力闘争も、河田の行く手をさえぎった。再販維持につながる閨閥を持った自民党の議員の応援をさせるため、渡辺恒雄が長嶋茂雄を担ぎ出そうと躍起になったのが97年秋。反対する家族との板挟みになり、悩む長嶋は辞任する覚悟すら固めていたものの、結局はテープだけの応援を行い、さらに河田らが根こそぎ粛正された巨人軍の監督に、そのまま留任してしまう。

 時は1997年9月18日。長嶋が留任を決めたその日を、著者の武田頼政は、長嶋茂雄という人間が敗北した日と見なしている。巨人軍がスポーツビジネスという世界規模のうねりの中で溺れ退潮していったその様は、太平洋戦争時のミッドウェー海戦になぞらえられる。まさに大転換の日だとも言える。

 もっとも巨人軍が“ミッドウェー”で敗戦し、今に至る敗走を続けざるを得なくなった原因を招いた責任者たちの多くは、今も大本営の奥に鎮座し、権勢を誇り権力闘争にうつつを抜かしている。巨人軍が長く持っていたの栄光を血にまみれさせ、泥に埋もれさせている。待ち受けているのは最終決戦に敗れて焼け野原となる本土、だろう。

 もっとも逆に見れば、興行として、あるいは宣伝材料としてのみ企業から存在を認められていた選手やチームが、プロスポーツとして自立し、存在感を増していくきっかけになった日だと言える。使用人でしかなかった選手たちがアスリートとして輝きを放ち、その輝きに集まったファンたちが大満足する、といった具合に日本のスポーツビジネスがあるべき姿に向かい進んでいく、その起点になった日だと言える。

 折しもこの本と刊行と同時期の2006年10月下旬、北海道日本ハムファイターズと中日ドラゴンズによる日本シリーズが繰り広げられている。見れば日本に地域をベースとして発展していくスポーツビジネスの正常な形が出来つつあることが分かる。札幌で、名古屋で両チームの激闘がどれだけの視聴率をあげたのか。札幌に、名古屋に、あらゆる地方の人たちにどれだけ夢を与え、経済をどれだけ活性化させたのか。巨人が未だに盟主の座にいたら適わなかっただろう現象が起こっている。

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 失意のうちに現場を去って10年が経ち、ようやく出来上がり始めたプロスポーツとしてのプロ野球の環境を見て、河田弘道はいったい何を思うのか。してやったりと喜ぶのか。半分は喜んでいるだろう。けれども同時に悔しがっているに違いない。何よりも大好きだった長嶋茂雄が、衰え行く巨人軍とともに輝きを失おうとしている。身に重い後遺症を負いながらも、看板としての役割を強制され続けている。怒って当然だ。

 その怒りが、この本の刊行で広くプロ野球の、長嶋茂雄のファンに共有のものとなった。何万何十万もの味方を得た今、河田弘道には再びプロ野球の、プロスポーツの最前線へと戻り来たりて、改革の流れをよりいっそう激しいものにしてもらえれば、こんなに痛快なことはない。

 待っている、貴方を。


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