フロン 結婚生活・19の絶対法則

 永井豪の短編マンガ「ススムちゃん大ショック」を初めて読んだのは20年くらい前のことだっただろうか。目にした場所は筒井康隆が編纂して徳間書店から出ていた「’71日本SFベスト集成」というアンソロジー。読んであるいはいつかきっと、そんな時が来るかもしれないという可能性に身を震わせ、SFというジャンルが持つ想像力のすさまじさに強い衝撃を受けたことを今でもはっきりと覚えている。

 母親がある日突然に子供たちを殺し始めるストーリー。母性という人間が動物だったはるか昔から営々と受け継がれていた概念に疑問を提示し、それがなくなった時に起こる惨劇を描いて固定観念への懐疑を読む人に問い掛けた。

 もっともその時は、当分の間は実際にそんなことにはならないだろうという安心感も同時に抱いていた。本能が環境などによって早々簡単に変わるものではないという確信もあった。それがどうした。「ススムちゃん大ショック」が描かれてから30年経過した日本では今、まるで「ススムちゃん大ショック」を地で行く事件が連日のように新聞テレビ雑誌を賑わせているではないか。

 当たり前のように思っていた人間関係、家族関係、親子関係が激変してしまうくらいに、30年という時間は長く大きいものだったのだろう。その間に起こった社会の、モラルの、信条の変化も大きなものだったのだろう。もしもあと30年経ったら? その時には「ススムちゃん大ショック」のような出来事も、ニュースにすらならないくらい日常的なことになっているかもしれない。

 なぜこんなことを思い出したかというと、岡田斗司夫の「フロン 結婚生活・19の絶対法則」(海拓社、1500円)という本が、30年を経てリアルな恐怖感を持って受け入れられるに到った「ススムちゃん大ショック」のように、1年、2年とかいった短いスパンで是非を判断できる評論ではなく、もっと射程を長く取って人間の営みに起こる変化を想定してみせた本かもしれないと思ったからだ。

 実のところ今読んで、書かれてあることの相当数が”机上の空論”なり”天下の暴論”めいて感じられて仕方がなかった。あるいは”極端な正論”とも。冒頭からして男性の50%は天下国家しか語らず残り50%に到っては車とセックスとギャンブルだけとゆー前提が繰り出されていて、家庭とか家族とか親とか子とかを、認めるにしても否定するにしても表だって語らないにしても、いろいろと考えている人が結構いるだろう可能性から考えると、いささか大ざっぱ過ぎるという気がして眉根が曇る。

 恋愛だとか快楽だとかいった甘っちょろい要素を一切合切否定して「望まない妊娠の場合は、堕胎することを考えてください」(129ページ)をあっさり言ってのけ、生んだら生んだで「『お腹の子供の父親が、育児に協力してくれるかも……』などとゆめゆめ期待してはいけません」と突き放す。妊娠できるのは女性だけとゆー構造的な違いを敢えて語らず、あるいはそうした違いをも含めて覚悟して妊娠しろというのは女性の権利を主張したい人々から見れば暴論の極と写るだろう。

 夫をリストラした後でも、1つに夫が援助してくれる可能性を持ち、一方で子供を育てながらも自活していく道を確保しろって感じの意見も、子供を抱えた身ではなかなか就職すらままならない社会的な現状への気配りが足りなさ過ぎると断じられて不思議はない。夫はリストラされたら前より家庭を気にしてくれるようになるなんて本当なのか。たぶんにわかには信じられないだろう。岡田家(こういう言い方も案外古いが)の事例はひとつの可能性として読者の考慮に入れられても、双方に理解があって双方に収入もある”特別”な家庭の”幸運”な事例として、賛辞と羨望の眼差しで見られて終わることになりかねない。

 「フロン」では「家族」「恋愛」「結婚」「育児」が大きく変化していくと予言される。それは本当か。たぶん1年、2年では無理だろうし、1カ月、2カ月では絶対に変わらない。けれども今のこの日本で、子供にご飯をやらずお湯をかけ木に吊し殴る「ススムちゃん大ショック」に描かれたような親が大量発生している現状にまみえ、気にくわないと言って刺し目を見たからといって殴る少年少女が大量発生している現状に鑑みるに、人間が根元的に持っていると思われていた肉親への愛とか、他人を思いやる感情とかいったものの実は案外と希薄なものだったんじゃないかという思いが恐怖とともにムクムクを浮かび上がってくる。

 30年前では想像もつかなかったこの荒んだ21世紀の人間関係を見るにつけ、”机上の空論”に読めるかもしれない「フロン」に描かれている家族像や恋愛像が、想像力の上に構築された真の未来像ではないという確信などどうして抱けよう。旧態依然とした家庭の枠組み、家族のくびき、社会の圧力から男も女も自由になって、新しい「家族」「恋愛」「結婚」「育児」の概念を作り出していないと誰が言えよう。

 そうした概念が一般化した世界が果たして荒んだ世界なのか、それとも幸福に溢れた世界なのかは分からない。「ススムちゃん大ショック」が描いた未来、すなわち現在は決して喜ばしいものではなかった。「フロン」が示唆する未来はどうなのか。願わくば必然として訪れるだろう未来の姿だと信じたい。旧来からある「家族」「恋愛」「結婚」「育児」の概念がひっくり返された世界には繁栄が訪れていると信じたい。

 ならば。著者にはその飽くなき情報収集能力と、果てしない想像力で幸福と自由に満ちた「ポスト・フロン」の世界を描き出してもらいたい。当たり前だと思われていた家族」「恋愛」「結婚」「育児」の固定観念を破壊して、訪れるだろう混乱を乗り切った先に見えるだろう世界の素晴らしさを教えてもらいたい。恐るべき破壊力を持ち底なしの魅力を持った本を書いた著者の、それが責任というものだから。


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