フラクタル・チャイルド
ここは天秤の国

 黙っていても気持ちが伝わるということが、ないとは絶対には言えないけれど、黙っていたって気持ちは伝わっているんだと、思いこむのは決して良いことではない。愛情とか血縁とかでしっかりと結びついた人どうしだって、心の隅々までが重なっている訳ではない。どうしたって分からないことはあるし、気持ちがすれ違うことだってあったりする。すれ違いがやがて大きな誤解となって、取り返しのつかない悲劇を招くこともある。

 竹岡葉月の「フラクタル・チャイルド ここは天秤の国」(集英社コバルト文庫、533円)に描かれているのも、そんなすれちがった想いが招いた取り返しのつかない悲劇、だったりする。舞台となっているのは、機械や機械どうしをつなぐネットワークの裏側を、テクノロジーではなく”精霊”と呼ばれる得体の知れない存在が操っている、ライブラという名前の都市。46年ほど昔、発見された新大陸を探査に来た一行のメンバーだったリヒト・オルベという男が、朽ちていた機械を機動させたことから生き返った都市で、今は旧大陸から移住した人と、そこで生まれた人が暮らしている。

 お椀のようになった都市ライブラは、4層のフロアと地下階層からできていて、明白に制度として分けられているものではないけれど、ご多分に漏れず上に行くほど高級で、下に行くほど低俗といった感じになっている。そんな都市ライブラの、工場が詰まったフロア0を除けば最下層にあたるフロア1で、何でも解決しますといった看板を掲げて商売する代行屋に、レベル1市の市警で働くルーク・キトーから奇妙な事件が持ち込まれたところから物語は幕を開ける。

 主人公に当たるのは、代行屋「オフィス・サイズ」で働く17歳の少年で、銃の腕はピカイチというカイと、同じようの「オフィス・サイズ」で働きながらも、一方では走り屋グループ「ルミナス・フリア」を率いる女リーダーとして、愛車を駆ってレースに勤しむ若干15歳の超絶美少女ジュラ、そしてレイヴンという普段は黒い烏の姿で現れる精霊を使役している、精霊使いの能力を持ったカイという「オフィス・サイズ」の経営者の3人。そしてルーク・キトーから持ち込まれたのは、歓楽街にあるダンスシアター「ピンク・フラミング」で踊っていたナンバーワン・ダンサー、アディ・カデナが何者かによって惨殺された事件だった。

 レベル0で働く清掃員の青年ミオ・コーナンと、なぜか同じ部屋で惨殺されていたアディ・カデナ。その死に様には一般的な常識では考えられないところがあって、「オフィス・サイズ」の面々は、ミオ・コーナンという青年の正体を探して歩き回り、彼に関わりのある人物を辿りながら事件の真相に迫っていく。その過程で、リヒト・オルベ亡き後の都市ライブラを支配する3つのカンパニーの勢力争いも絡んだ謎解きあり、協力無比なカンパニーのサムライを相手にしたアクションあり、ジュラのドライビングテクニックが冴えまくるカーチェイスあり、といった物語が繰り広げられる。

 描かれる事件が指し示すのは、想いを口ではっきりとは伝えなかった者と、想いを読み違えてしまったものとの、すれ違ってしまった気持ちから生まれた疑心暗鬼が、取り返しの悲劇を招く怖さ、だったりする。そうなる前にどうして何かできなかったのかと、憤りの気持ちが浮かんでくる。都市ライブラの父とも言える存在が遺したものが、悲劇の引き金となっていることにも、どうしてそんなものを作ったのかと疑義の気持ちが湧いてくる。

 サキにジュラという元気いっぱいなキャラクターが前面に出て活躍する物語は、なるほど明るく楽しいアクション・ストーリーといった雰囲気もあるし、精霊を相手に立ち回るカイの謎めいた行動からは、ファンタジックな雰囲気も感じる。けれども一方では、気持ちのすれ違いが招いたシリアスな悲劇を、人の死という絶対的にシリアスな状況を含めて描いてあって、コバルト文庫というパッケージとしては意外の範疇にはいる、ずっしりとした読後感を覚える。

 精霊という得体の知れない存在によって自動車も電話も電気もほかのあらゆるテクノロジーが駆動されている、という世界の成り立ちの謎にまではまだ迫られてはおらず、精霊を使役する力を持ったカイの正体にも謎は残る。そうした世界観の根幹を成す部分に、「オフィス・サイズ」の面々がストレートに迫っていく物語が、いずれは描かれるだろうとは思うし、大いに興味もあるけれど、折角立ち上がった新シリーズ、先を急いでは勿体ない。しばらくは不思議な世界を舞台にした、リアルでシリアスな人間たちの心を描いたドラマを見せていってもらいたい。


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