女子妄想症候群
フェロモマニアシンドローム

 人を見かけで判断するなとと言うけれど、心の読めない人間にとってまず目に入る見かけから、その人を判断したくなるのは当然のこと。だから例えば絶世の美女がいて、ちんちくしゃ女の子がいて男だったらどっちを先に気にするかと言えば、当然ちんちくしゃな女の子だったりする……っ何ておかしいですか? いやなに人と違ったものを欲しがる天の邪鬼野郎なんで。

 それは極めて珍しいケースだとして、至極普通の人の感覚だったら絶世の美女にまずはなびくのが当たり前だし、可愛い男の子に目を向けるのが流れというもの。けれども人を見かけで判断するなという言葉が、そこで大きな意味を持ってくる。絶世の美女だからといっておしとやかだとは限らない。可愛い男の子だからといって保護が必要なくらいに弱い訳ではない。

 イチハという人の「女子妄想症候群」(白泉社、390円)に出てくる美男美女、に限らず登場人物たちも見た目でまったく判断できない人たちばかり。178センチも背がある長身痩躯でボーイッシュな感じの女の子の滸(ほとり)と、身長155センチで顔は超絶美形のまるで少女顔という男の子の炯至。見かけだけなら浮かぶ構図は、ボーイッシュな滸が保護者となって少女顔の炯至のやんちゃや甘えを見守る関係、ということになる。

 ところがこれが大違い。178センチも身長がある滸は並大抵の女の子以上に純情可憐で奥手なタイプ。おまけに過剰なまでの妄想家で、炯至とのイケナイ行為を妄想しては、顔を赤らめ鼻血を吹き出しドギマギする。そんな少女の態度にいらだつ並大抵以上の同級生たち。炯至を女性に目覚めさせ、滸の想いに気付かせようとしたところ、とんでもない目に会ってしまう。

 つまりはこれまた見た目と中身が大違いも大違いだったという訳。滸の同級生の超絶グラマーに超絶美脚の女か出て来て、炯至を目覚めさせようとコナをかけたりしたところ、実は男の子は顔に似合わないバイオレンスでアバンギャルドな性格で、なおかつ滸にも強い想いを抱いてて、美形にドスきかせながら寄ってきた女共を威嚇しまくり、なのにそんな性格を滸には見せずに彼女との恋路の成就に頑張りまくる。

 ともあれ最初に描いた構図はしょっぱなから崩れ去り、なおかつ冒頭で感じた過剰な母性が炯至に届かず空回りする話にも止まらない、バイオレンスでロマンチックな学園生活が繰り広げられる「女子妄想症候群」。見た目と実際の性格とのギャップが笑いを誘い、炯至の見た目と実際の性格とのギャップに怯える登場人物たちの姿の哀れさもやっぱり笑いを誘う。

 併録の短編「バトルフラワー」がこれまた見た目と中身の激しいギャップに大爆笑の物語。それなりな美少女でおまけに惚れっぽい性格だからか、結構な割合で恋人を作るところまでは行く四葉。ところがその度に、幼なじみで学園理事長の孫娘で才色兼備の棗(なつめ)が現れては、その美貌で四葉の恋人をかっさらっていく。

 その数実に19人。ある意味虐めに近い仕打ちを受けながら、それでも同級生で幼なじみの腐れ縁から逃げ出さずにいたある日、四葉に憧れていたという新恋人が現れたことからまたもいつもの大騒動が持ち上がる。今度こそは棗に横取りされまいと策略を巡らせる四葉だったけど、敵もさるもの、なぜか伸びる長い舌から唾液を垂らして四葉の恋路を邪魔しにかかる。

 なぜに棗は四葉をこうまで邪険にするのか。その昔に棗が大事に育てていたバラを四葉が台無しにしたからなのか。その理由はまあ読んでのお楽しみ、というか大方の想像どおりなんだけど、ともあれ見た目で人は語れないということだけはよく分かる。美少女だから可憐で清楚で純情な訳じゃない。まあ、ある意味純真さが極まりすぎているのかもしれない。これは炯至も同様だけど。

 時折見られる四葉の二頭身になったり狸のような顔になったりするギャグっぽい描写や、棗の魔女妖怪の類を想わせる凄みを聞かせた描写が、普段の美麗な絵柄との対比で目立って面白い逸品。結末が出てしまっているから難しいかもしれないけれど、棗の気持ちを半ば受認しつつ知りつつそれでも男の子との恋路の成就に邁進し、玉砕しまくる四葉の姿を、背後で目を光らせ舌なめずりする棗の姿ともども、シリーズで読んでみたい気がしてる。


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