FIRES OF EDEN
エデンの炎


 恐ろしい、と言えばこれほどまでに恐ろしいシチュエーションには、決して少なくないホラーやらミステリーやらを読み込んでなお、終ぞ出会ったことがなかった。さすがはモンダンホラーの旗手にして奇才、ダン・シモンズだとここにその力量を大きく喧伝してしまおう。恐ろしさとはつまり、鬼面人を驚かす的なびっくり箱のオンパレードでは決してなく、現実の世界でありうべき、けれども絶対にあって欲しくない事柄をサラリと披露し、読者に「身に染みる」思いを抱かせる事なのだ。

 何をそんなに恐ろしがっているかと言えば、ダン・シモンズが伝説伝承の渦巻くハワイ島を舞台に書いた「エデンの炎」(嶋田洋一訳、角川書店、上下各700円)のとある場面に行き着く。そこでの主人公は億万長者として世界中にビルを持ち、ハワイ島には高級リゾートを建設しては伝承に経験な島民たちから非難を浴びているバイロン・トランボという男。金持ちのご多分に漏れず金集めにご執心なら女漁りにも熱心で、妻がいながらあちらこちらに女をつくり、それをとっかえひっかえしては妻の顰蹙を買っていた。

 当然のことならが妻からは離婚の訴訟を起こされて、慰謝料代わりにトランボが日本人の実業家にうっぱらおうとしていた「マウナペレ・リゾート」の割譲を求められていた。おまけにトランボが実業家との交渉を進めているリゾートのホテルにやって来ては、その不貞をなじるという有り様。ここまでで1つ、その身に覚えのある人たちの恐怖感を、ぞくっと刺激してくれたことだろう。

 加えてリゾートには折悪しくトランボがちょっと前までつき合っていたスーパーモデルのマーヤ・リチャードスンが滞在していて、交渉とそれからちょっとした「事件」に四苦八苦していたトランボの心を乱して仕方がない。さらに恐るべきことに(ゾクゾクッ)トランボが今つき合っていたロック・スターのビッキまでもがこの「マウナペレ・リゾート」に来ていて、いつ鉢合わせをしないものかとトランボの自業自得な心配をかきたてて止まなかった。どうです、恐ろしいでしょう?

 でもそんな恐ろしさなど大事の前の小事であり牛後の前の鶏口に過ぎなかったことが下巻の105ページで開かされる。何とまあ実にその、3人の美女たちが「しきりにおしゃべりしている」場面にトランボが行き会わせてしまったのだ。ああなんという恐怖! なんという惨劇!! やがて来る修羅場にトランボの心は、起こっている「事件」など軽く吹っ飛ばして毎秒300のスピードでドックンドックンした事でありましょう。これぞ究極のホラー、ですね。

 なんて本筋から遠く離れたエピソードを持ち出して、そのホラーでなさ加減をごまかしているように思われるのなら心外で、実際にこの「エデンの炎」はハワイの伝承を巧みに織り込みつつ、妖怪怪物魑魅魍魎の類が跳梁ばっこするハワイ島を舞台にした、勇気ある女性の活躍を実に見事に描いている。古(いにしえ)の妖怪が敬虔さを失った現代人に復讐するという展開、そして女性が要となってその怒りを沈めるという展開は、柴田よしきさんの「炎都」(柴田よしき、徳間書店、900円)に近い雰囲気。ホラーという意味での恐ろしさはいささか減殺されるけど、痛快さにかけては「炎都」同様にエンターテインメントの王道を行く中身を誇っている。

 本編の一応の主人公はトランボではなく米国の大学で歴史を教えているエレノア・ペリーという女性。およそ非科学的な現象とは無縁の生活を贈っていた彼女が、何故に伝承渦巻くハワイ島を訪れようと思ったのかと言えば、彼女の御先祖様が残した1冊の手記を読んだことがきっかけだった。その御先祖様、キッダーおばさんことロレーナ・スチュワートが残した手記に書かれていたのは、後にマーク・トゥエインと名乗ることになる1新聞記者のサムエル・クレメンズと一緒に経験したハワイ島での恐ろしくも奇妙な現象だった。

 物語はそこからエレノア・ペリーら現代人が現代のマウナペレ・リゾートで経験していく恐ろしくも奇妙な経験と、キッダーおばさんの手記とが交互に展開され、手記にも登場するハワイの地下深くに封じ込められていた邪悪な神々が、現代に甦りペリーらを襲う時にびっくり箱のよう、そして時にスプラッターな場面へと進んでいく。トランボが対応に四苦八苦していた事件とは、つまり甦った邪悪な神々によって次から次へとリゾートを訪れた客たちが食われていた事。ためにリゾートに客がほとんど寄りつかなくなり、故にトランボはなリゾートをさっさと売り払おうとしていたのだった。

 さて手記の中身を確かめるために、ハワイ島へとやって来たペリーは、道中出会った活発な熟女のコーディ・スタンフといっしょにマウナペレ・リゾートへと入り、そこで起こっていた奇妙な出来事に次々と直面する。例えば人間と同じ歯並びと持った犬が切断面も鮮やかな手首を加えて歩いているといった具合。神々の怒りなのか次々と噴火するキラウエアにナウナロアの2つの火山から続々と溶岩は流れ出し、背中に口を持つ鮫やら人語を解する猪といった伝承に登場する妖怪変化が人を襲ってはその魂を抜き出し、洞窟に閉じこめるスペクタクルな展開の中、身に染みる恐怖に打ちふるえて、もっと大切な島で起こっている不可思議な出来事に考え及ばないトランボを説得して、ひょっとしたら全世界をも揺るがしかねない「事件」の解決へと、2人の女性は邁進するのだった。

 「億万長者を過ごす休暇」に当選してマウナペレ・リゾートへとやって来たコーディーが実は・・・・ってなドンデン返しの楽しみもあり、エンディングのさわやかさにホラーという看板から感じる「助かって良かった」的カタルシスとはちょっと違う感動を覚えたりもするけれど、リゾートとしては日本人にとっても馴染み深いハワイが実は、八百万の神々が跳梁するこの日本と同様にさまざまな伝承を持っていることを教えてくれ、かつその伝承を無視する事が実はとんでもない恐怖を呼び起こすことを思い出させててくれる、教養という面でも実に役立つ内容に仕上がっている。その点は流石に稀代のストリーテラー、ダン・シモンズの面目躍如と言ったところだろう。

 しかしやっぱり最も恐ろしいのが冒頭に掲げたその場面、だったりするのはあるいは既に大家となり、億万長者となった(んだろうね)ダン・シモンズ自らが、その身に感じている恐怖をそのまま描写したからなのかもしれないと、思ってしまうが果たして真実はどうだろう。時に日本が誇るモダンホラーの旗手しかり、再びの長者番付第1位獲得が嬉しいベストセラー作家しかり、さらには日本の伝承を作品に折り込みつつ日本中を舞台にしたミステリーを書く軽井沢の天皇しかり、億万長者の作家には恐妻家が多いと聞く。仮に創作の参考として「エデンの炎」を手に取ったとして、さてもかくなる場面にいかな感想を抱いたのかを、文芸ジャーナリスト諸氏には是非とも探って戴きたい。

 


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