ドラフィル! 竜ヶ坂商店街オーケストラの英雄

 「響介、音楽がなくても、世界は動くんだぜ?」(158ページ)

 文化と呼ばれるあらゆる事柄の、創造に携わり、需要に勤しんでいる者たちにとって、これは絶対に突きつけられたくない、最も強烈な言葉かもしれない。

 長い時間をかけて技を鍛え、ようやく奏でられるようになった音楽も、呻吟の果てに筆で刻んで、魂の奥から絞り出した文学も、この世界が動いていることに、まるで用を成していないと知って、果たして音楽家は、文学者は創作を続けられるだろうか。それを己が楽しんだからといって、世界は微塵も揺るがないと知って、ファンは平静と音楽を聴き続け、言葉を追い続けられるのだろうか。

 「音楽をやっていられる人間ってのは、そんな簡単な事にも気づけない馬鹿か、気づいているのに離れられない馬鹿か、そのどっちかなのさ。私も、お前もだ」(158ページ)

 美奈川護の「ドラフィル! 竜ヶ坂商店街オーケストラの英雄」(メディアワークス文庫、630円)で、一之瀬七緒という女性から、藤間響介という青年に向けられたそんな言葉が、だったら人はどうして音楽を、文学を、エンターテインメントを創造し、需要しているのかを改めて意識させる。

 12歳の時に見学に行ったコンクールで、フォルテの重音から始まったブラームスのヴァイオリン協奏曲二長調第三楽章を耳にして、ヴァイオリンを学んでいた藤間響介は、樋山ゆかりという名の15歳の少女の演奏に魅せられた。あるいは魅入られたといった方が正しいかもしれない。

 父親から押しつけられた教育もあって、そこそこは弾けるようになり、音大にも入った響介は、けれども大きく才能を飛躍させることはできず、どこのオーケストラにも入れないまま、無為の時間に埋もれていた。期待して払った労苦に見合わないと怒った父親に、勘当されて行く当てもなくなっていた響介の窮状を見て、ランドルフィというヴァイオリンの名品を貸し与えていた楽器商の叔父が口を出す。

 竜ヶ坂という、東京から電車で1時間半ほどの場所にある町が、地域振興を狙い作った地元のオーケストラで、ちょうど座が空くコンサートマスターになれと、叔父は響介に告げる。プロではないから給料もギャラも出ないけれど、公民館の職員として働きながらという条件があって、食うには困らないと思い響介は、竜ヶ坂へと出むいていって、そこで一之瀬七緒という非常勤嘱託職員に紹介される。

 事故で足を怪我したらしく、車椅子に乗っていた彼女は、そうした身上を意識させないパワフルさで仕事をこなし、なおかつ竜ヶ坂商店街フィルハーモニー、通称ドラフィルにも関わっていた様子。楽器はやらないと言った七緒だけれど、響介の顎にあったヴァイオリニスト特有の痣を見て、幼い頃から練習をしてきただろう経験を即座に感じて「いい痣だ」と告げてみたりと、どこか音楽に詳しそうなところを見せる。

 それもそのはずで、彼女こそが実はドラフィルの指揮者。その腕前は、音大の指揮科を出たようなアカデミックなものではなかったものの、スタートのサインひとつで、響介に思わずブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調第三楽章を弾かせる力、それも響介の限界を超えるような演奏を引き出す力を持っていた。

 そして物語は、謎めいた過去を持っている一之瀬七緒から、コンサートマスターに必要なのは楽団員をまとめ上げるリーダーシップで、個々が抱える悩み事を解決し、円満な人間関係を築き上げる必要があると突っ込まれた響介が、81歳の主席トランペッターと、孫でやはりトランペットを吹く吹子という少女との、少しばかりギクシャクとしていた仲を取り持ったり、和菓子屋の4代目で、オーケストラではフルートを受け持つ彩子さんの息子が、親に隠してアルバイトをしている理由を突き止め、母親と息子とのコミュニケーション促進に協力するエピソードへと進む。

 ほかにも、響介の前のコンサートマスターで、結婚してドイツに移り住むことになった美咲さんを慈しみがらも、素直に態度で表せない父親との関係を近づけたり。音楽に勤しむ者たちが持つ音楽への強い思いと、それ故に生まれがちな家族とのすれ違いを、描いて音楽に浸る苦労を示し、音楽が結びつける喜びを見せる。

 そんなエピソードを重ねていくなかで、だんだんと見えてきた一之瀬七緒の正体。それが、響介自身をずっと縛っていた、樋山あかりの10年前の演奏へのわだかまりを刺激し、知らず作っていた壁をうち破って、惰性ではなく、親に押しつけられたものでもなく、自分自身として心から音楽へと向き合う意識を取り戻させる。

 音楽は世界を動かせないかもしれないけれど、自分は動かせるし、自分の周りにいる人たちも動かせる。そんな小さな動きの連鎖で、変わる世界があるのだとしたら、音楽には絶対に意味があるのだ。

 かつて魅入られた樋山あかりという存在に、一之瀬七緒という車椅子の女性の存在を繋げ、謎を示して解決へと至る道筋は、ちょっとしたミステリー小説の赴き。そこに、音楽というものに執着して、いつしかその魔性に魅入られ、抜け出せなくなる音楽家たちの心の繊細さや、子供の才能に過度な期待をして、プレッシャーに潰してしまいがちな親の心の難しさ重ねて、音楽に関わる人たちにありがちな像を浮かび上がらせる。

 それでも最後には、音楽を愛する心が輝き放たれて、気持ちをすっきりとさせてくれる展開が嬉しい物語。読めば誰でも心起きなく音楽に勤しみ、創作に浸って自分を満たし、他人を癒してあげたくなるだろう。


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