DADDYFACEDADDYFACE 世界樹の舟

 ゆずれない一線がある。許容範囲とも言えるそれは人それぞれで、たとえば小説の設定だったら、「12歳の女の子が銃をガンガン撃ちまくって敵をバンバン倒しまくる」のは許せても、その女の子が「実は大富豪で政府要人にも顔が効いて最新鋭のステルス機だって手に入れられる」のはなんとも、と思う人はいるだろう。

 あるいは「風采の上がらない貧乏な大学生が眼鏡を取ったら美男子」という設定なら納得できても、彼に「いろいろと秘密」があって、おまけに「ミス・キャンパスの美少女から何故か慕われている」というシチュエーションに、「やりすぎだーっ!」と叫びたくなる、とか。

 「事実は小説なんかより奇なり」な現代、人間の想像の範囲におさまっている限り、慣れた小説読みなら「まあ、あるね」くらい言って、笑ってページをめくり続ける人も少なくない。けれどそんな小説読みが、果たしてにこやかに笑って耐えることが出来るのか、という命題を突きつける小説がここにある。

 「銃をガンガンうちまくっる大富豪の娘」と、「貧乏だけど美形で秘密もちょっとある大学生の男性」が、「実は親子」だったりしたら?

 「大学生ってのは2浪4留の26歳で14歳の時の子供だったりするんだろう? あるよなあ若気の至りって」なんて納得は不許可。1浪はしているけれど当の大学生は20歳そこそこ。「ああそうか、兄か誰かの子供が父親代わりに慕ってるんだ」という意見も却下だ。DNA鑑定レベルで12歳の女の子と大学生はれっきとした親子だと認められてしまっている。

 つまりは8歳の時に作った子供で、おまけに相手は7歳の女の子だったという設定。どうだい耐えられるかい我慢できるかい許せるかい。

 「許せる」、と思ったのならあなたは今すぐに伊達将範の「DADDYFACE」(メディアワークス、590円)を手にとるべきだし、逆に許せないと言うのであっても、「そんな小説が存在するのか」と怒りまかせに手をのばし、ついでに続編の「DADDYFACE 世界樹の舟」(メディアワークス、690円)も読むべきだ。何故なら無茶で無理で無謀な設定のオン・パレードを乗り越え、「面白い」と思わせてくれる小説なのだから。

 両親を亡くして施設にいた少年が、「ゆうちゃん」と呼んで幼い恋心を寄せていた少女と別れなくてはならなくなった前の晩、相手が見せた積極的な好意に布団をともにして一夜を過ごす。長じて苦学生となった少年、草刈鷲士のとろこに、突然自分はあなたの娘だと言って12歳の美少女が尋ねて来た。

 実はその少女、結城美沙は世界をまたにかけて遺跡や文化遺産といったお宝を探し歩く、凄腕の「トレジャーハンター」で、同じくお宝を狙う「ミュージアム」との死闘を繰り広げていたのだった、と、さわりだけを拾っても飛び具合にはすさまじいものがあるけれど、前述のように少女は大金持ちで大学生には麻当美貴というミス・キャンパスの彼女がいて、かつ体力的な面で風采とは正反対の秘密があって、といっと具合に繰り広げられる設定はすべてが爆裂している。

 さらに言うならば美沙と美貴の間にも何やら因縁があって、かつ美沙の一族には人智を超える秘密があったりするからもう大変。けれども切れず投げずに読み続けられるのも、状況が気持ちよくエスカレートしていく中で、いずれ劣らず圧倒的な存在感を醸し出すキャラクターたちの、おかしくも可愛い様にほだされ、知らず巻き込まれてしまうからだろう。

 鷲士の秘密が明かとなり、美沙と美貴の関係もはっきりした上で、物語の中核をなす「来訪者」なる存在の残した人智を超える遺産をめぐる戦いの構図が「ダディフェイス」でつまびらかにされた上で、続く続編「ダディフェイス 世界樹の舟」では、ドイツを舞台にトレジャー・ハンター「ダーティー・フェイス」と「ミュージアム」とのさらなる死闘が描かれる。

 エジプトから日本からドイツへと舞台がめまぐるしく変わり、私有物になってしまった軍事衛星が同じく私有物になってしまった駅のホームを吹き飛ばし、北欧神話に登場する世界樹が地底より甦り、超能力が繰り出されオーパーツが飛び交い美少女は美女に迫られ美少年は溜息を付く、といった具合に、内容のエスカレートぶりは1巻をも超えて銀河を覆う。

 読み終えた身には、もはやどんな無茶な設定であっても、またいかな無謀なキャラクターたちであっても、むしろ作品の魅力となって意識を高揚させる。次はいったいどこまで爆裂してくれるのかと興味を喚起させる。もう逃げられない。

 イラストを担当している西E田のあざとくも可愛い12歳美少女の、本編とのマッチングの良さも、膨張し続ける世界観に気持ちをシラケさせることなしに、作品へと入り込ませてくれる。歳相応にちょっぴりプックリなバストにタイトなミニに包まれた小さくも引き締まったヒップの絵は、いかな無茶で無謀で無理な設定であっても、軽くいなして見る人の目を奪って離さない。

 次があるなら恐らくは、当然のように設定のビッグバン級の炸裂があるだろう。が、すでに洗脳された頭には、少々のエスカレートでは逆に「物足りない」という気持を喚起させかねない。広げた風呂敷はもう畳めない。むしろ世界を、いやさ宇宙をも包み込むくらいに広げてこその大風呂敷だ。臆せずのびやかに無茶を、無謀を、無理を貫き通してもらいたい。


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