Cotton

 「友情以上、恋愛未満」っていうことがあります。「恋人には早いから、友達から始めましょう」って言葉もよく聞きます。こう聞くと、「友情」と「恋愛」って人間の関係には、強さ弱さの段階がそこにあるように思えてしまいます。

 けれどもそうなんでしょうか。人間の感情ってそんなメーターみたいに数値で図れるものなんでしょうか。違うような気がします。強さ弱さで区切れるようなものじゃないって思います。

 恋愛でもあって友情でもあって、恋愛でもなければ友情でもないけれど、それでも成り立つ2人の関係ってのが、きっとあるはずです。そしてそれこそが、意味を固めてしまうような言葉では言い表すことのできない、本当の”人間関係”なのではないでしょうか。

 紺野キタが2000年からぽつりぽつりと、同人誌に発表して来た連作をまとめた「cotton」(ポプラ社、580円)で読めるのは、少女と女性の恋愛とも、友情とも敵対ともとれるたりするし、どれもあてはまらなかったりもする強くて、儚くて、濃くて、淡い”人間関係”のおかしさ、素晴らしさです。

 それは雨の交差点の場面から始まります。濡れながら信号を待っている髪の長い綺麗な少女に、後ろから近づいてきた童顔の女性が傘をさしかけます。少女はチラリと女性を見て、けれどもすぐに別の方向を向いて、キュッと口を結んだ固い顔になります。

 そんな少女になぜか女性は、涙をこぼしながら「傘、あげる」といって本当に傘を渡して、濡れながら信号を渡って行ってしまいます。しばらくして、奈月という名のその女性が姉の結婚式場に行くと、そこには以前に横断歩道で傘を渡した美少女が、姉の夫の妹として来ていていました。

 偶然の再会。少女は女性に近寄って頬を手の甲で撫で、「今日はぬれてないんだ」と話しかけます。さらに後日。理子(みちこ)という名だと分かった少女が、女性の家へとやって来てます。

 姉の夫の妹。それだけの関係だったはずなのに、理子は奈月から借りた傘を返しながら面と向かって「家の中に他人の物があるのって気持ち悪いから」といって来ました。ある意味とっても拒絶的な言葉で、聞いた女性はどうしてそんなことをいうんだろうと訝り、童顔のことを「若くみえる」といわれて悔しがります。

 その晩のことです。嫁いだ姉から電話があって、理子が家ではあまり喋らず笑いもしないことを聞かされ、そんな理子が奈月をわざわざたずねて来ては、減らず口を叩くことを不思議に思います。電話が切れて奈月は玄関へと行き、返されて来た傘を開きます。するとそこには……。

 こうして始まった奈月と理子の関係は、そのあとも理子の懐いたように見えて、ちょっとしたきっかけで反発して離れていくきまぐれな言動に、奈月が振り回される形で進んで行きます。

 寂しかったのかもしれません。裏切られ続けて猜疑心が心を覆ってしまっていたのかもしれません。もう傷つきたくないと、頑なになって心を閉ざし、誰も近づけようとしなかったそんな理子でしたが、年齢だけなら大人なのに、まっすぐで稚気にあふれた奈月の言葉や態度や笑顔や泣き顔に、少しづつだけど変わっていきます。

 「スキ」「スキ」「スキ」と手をさしのべる理子と、「キライ」「キライ」「キライ」と手をふりはらう奈月の、公園でじゃれ合う姿は痴話喧嘩をする恋人のように見えます。奈月の事情も考えないで憎しみを言葉に載せぶつけてくる理子と奈月の関係は、敵対しているようにも見えたりします。

 そんな2人の関係は、だからといって恋愛とか、敵対とか友情とかいった一言では、ちょっといい表せないように思います。どれも違うというのではありません。どれもそれぞれの場面では真実だったりします。ようは出会った2人の重なり合った部分と重なっていない部分が濃淡で見えているだけのことなのです。

 奈月と理子の関係だけではないでしょう。人の関係っていうのはたぶんそういうもので、今は難しくてもいずれ重なりを増すことだってあるのです。諦めたり、逃げたり退いたりする必要なんてないのです。

 「私たちは/白いコットンのハンカチ/汚れてくしゃくしゃになってしまったら/また洗えばいい」。人の関係に悩む人もそうでない人も、読んで感じてみてはいかがでしょう。恋愛でもなく友情でもない、そして恋愛であって友情でもある人の関係の素晴らしさを。


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