バー・コントレイルの相談事

 ふらりと入ったバーで、優しいバーテンさんから話しかけられ顔見知りになり、そして常連さんでも初見さんでも構わず、来店するお客さんと仲良くなって、友人知人が増えていくという展開が、人見知りで出不精で、胡乱で友人知人がまるでおらず、結婚式にもお誕生会にも招かれない人間には、ファンタジーでありSFとしか映らなかったりするけれど、それは人によりけりのレアケース。創刊された富士見L文庫から登場した、小竹清彦による「バー・コントレイルの相談事」(富士見書房)に紡がれる、人と人との出会いが繋がりを生んで、人生に明るさと彩りをもたらす展開に、自分を重ねて喜び嬉しがる人の報が、むしろ多いかもしれない。だからこそこういう物語が書かれ、読まれて親しまれる。

 会社で上司に失敗を押しつけられ、怒りと悲しみに打ちひしがれていた社会人2年目の志摩縁が、気持ちを晴らそうと社会人に成り立ての頃から通りがかる度に看板だけ見て気になったバーに入ると、バーテンダーから子気味の良いリードを受けて自分にピッタリのお酒を用意してもらい、迷いを聞いてもらってちょっとしたアドバイスを受け、会社での失敗を取り戻して立ち直る。そんなエピソードからまず開幕した物語で、足繁くバーに通うようになった縁は、周辺に現れる人たちのちょっとした疑問や悩みを、羽鳥慎という名のバーテンダーがアドバイスしたり解決ししていく様子に触れていく。

 痛ましかったり苦かったりするような事件が起こる訳ではない。近所にある古くから家族で営まれているフライ屋の向かいに、アメリカンスタイルのフライ屋が出来て商売あがったりになりかかったことから、相手に勝負を仕掛けて秘策ではなく実直な仕事ぶりで勝利するエピソードとか、持ち込まれた古いボトルの形から、それがいつ作られたどんなお酒がピタリと当てるエピソードといった具合に、日常の中、身の回りで起こるような問題とその解決策が描かれていて、読んでいろいろと為になる。自分の身に起こったらどうしたらいいかを諭される。
 そして最大の特色は、お酒に関する知識がとてつもなく豊富なこと。カクテルの種類からその飲み口、どんな時に飲んだら良いかといったノウハウを得られて、自分でも試してみたくなってくる。そんな展開の中から、縁の死んでしまった父親が、かつてバーテンダーをやっていて、まだ幼かった彼女に飲ませたかったカクテルがあったという話が出て、酒のことには目のない慎がそのカクテルを探して求めるエピソードが本筋として登場して来る。

 縁の父母は離婚していて、縁自身は手広く商売をしている母親の方に引き取られた。幼い頃に見ていた父母はいつも喧嘩していて、女出ひとつで自分を育ててくれた母親への気持ちもあって、どういう理由で離婚したのかも、父親がどういう人だったのかも聞くことが出来なかった。それが父親が残したカクテルを探すという名目を介して、縁は改めて母親を向かい合い話し合ってわだかまりを解くことが出来た。そこから慎への関心も深まっていくのか? といったラブストーリーは現時点ではちょっと未定。これからの展開でそうなるか、母娘続けて酒に熱中するバーテンダーに捕まるのか。それは今後のお楽しみということで。

 いったい父親が縁に飲ませたかったのはどういうカクテルなのか。そして今の縁に飲ませたいカクテルは。そこにどんな意図が。お酒を通したコミュニケーションの方法を学べるところが結構ある物語。そして何より美味しいお酒を飲んでみたくなる物語。読み終えれば誰でもふらりとバーの扉を開けてみたくなる。そして親切そうで腕の良さそうなバーテンダーに頼んでみたくなる。ホワイトレディを。マティーニを。エンジェル・フェイスを。ピンク・ジンを。どんな味がするだろう。どんな出会いがあるだろう。期待してみたくなる。

 でも現実はなかなか厳しいもの。本当に親切なバーがあるとは限らないし、出会いだってあるとも思えない。そうネガティブな気持ちに凝り固まった心をうち破るには、未だ見ぬバーの扉を開ける以上の勇気が必要そう。どこに行けば手にはいるのだろう。どうすれば持てるのだろう。それはやはり自分で掴むしかない。お酒への情熱。誰かへの渇望。それらが溜まった時、「バー・コントレイルの相談事」のような世界があるかもしれないと思い返し、街に出て扉を開けよう、どこかの路地のバーの扉を。


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