COLOR MAIL
カラーメイル

 20年近くも昔のことでタイトルも作家もまったく覚えてないが、色を失ってしまった少女が主人公の短いジュブナイルSFを読んだことがあって、彼女が朝御飯を食べる場面を思い出している。モノクロの世界で食べる味噌汁の黒っぽく淀んだ汁に浮かんでいる具のサヤエンドウが、ひどく不気味な物体として描写してあって、色の失われた世界での食事は辛いものだと思わせる心の重しとなって、いまに至っている。


 想像してみればいい。昼御飯のミートスパゲッティーが今日から突然にモノクロとなってしまったら? 白いグニャグニャの上に黒いブツブツが混ざった灰色のソースがドロリとかかったその皿を、昨日までといっしょの気持ちで美味しく食べることができるだろうか。これが「甘口抹茶小倉スパ」だった日には、気分はさらに落ち込むことだろう。だって目の前にあるのは、灰色のパスタに黒褐色の餡とそして白い生クリームがかかったモヤモヤと湯気を立てている物体だぜ。緑の山に紫の餡と白い生クリームの総天然色より目に優しい? よほど美味そうに見える? そういう人は山(マウンテン)に篭って修行しな。


 色がなくたって味も香りもあるから慣れればどうということはないと、そう言えないこともない。ただ色がその食べ物の、というより全ての物体の属性までをも決めていたとしたら、色の抜けた食べものはもはや食べではない。黄色くないバナナでは元気が出ないし、緑色でない草原の草は草食動物たちにとって栄養にならない。だったら黒い血だって酸素を運ばないから人間だって生きていけないじゃないか、なんて突っ込まれたら困ってしまうが、それを言ったらお話が成立しないから、黒でも青でもその目をつぶってもらうしかない。


 そのお話というのは藤原カムイの「COLOR MAIL(カラーメイル)」(エニックス、1800円)。もとより絵のうまさでは定評のある作家であり、かつかの名作「チョコレートパニック」を筆頭に、シュールな世界を舞台にしたスラップスティックな漫画を描かせてはこれまた当代随一な藤原カムイの最新の単行本が、謎の怪人によって奪われてしまった色を取り戻すために戦う少女を主人公にしたこの作品だ。少女の名前はアイ。自然にあふれた世界に弟のモエギ、映画技師のおじいちゃんとそして飼い猫のアーオと暮らしていた彼女の頭上に突然現れた黒い太陽が、世界から色を奪いモエギをも連れ去ってしまった。


 漫画なんだからもとよりモノクロだろうと思っては大まちがい。なにしろこの「COLOR MAIK」の冒頭はちゃんとフルカラーで描かれているのだ。そして色が奪われる展開といっしょに、フルカラーの画面からも色が奪われ、以後は世界から色が失われてしまったという設定を登場人物が認識した上で、色のないモノクロームの画面がしばらく続く。そして色の神官アッシュ・グレイによって色を取り戻すための戦士となった彼女の手によって、虹の7色を司る精霊たちが1人づつ解放さていくに従って、世界には色が戻りそして画面にもその色が戻っていく。


 色のないバナナでは元気が出ないとというエピソードは黄色の精霊プリムローズを解放する場面で描かれているもので、緑を失った草原で草食動物たちが草を食べなくなってかわりに肉食動物を襲うエピソードは緑を司るビリジアンを解放する場面で描かれる。実際に漫画の画面として色付きで描かれる黄色いバナナの旨そうなこと、緑の草原の爽やかなこと、バーミリオンに染められた夕焼けの神々しいこと、マリーンの青い海と空の清々しいといったら、色あってこその世界だということを物語以上にその目にしっかと焼き付けてくれる。


 物語でアイが1色を取り戻すたびに画面でも色が重なりあって豊かな世界が描かれる、その物語と視覚とがピタリ一致する凝った構成には、1800円という漫画の単行本ではやや高めの値段でも納得できる。色泥棒のブラックレイブンが繰り出す敵がペンギンだったりパンダだったり白像だったりマレーバクだったりする、そのとことんまで色をネタにした展開にも藤原カムイならではのこだわりが見える。7人の色の精霊が並んで「虹色戦隊レイボーレンジャー」を叫ぶのはご愛敬。けど思うと色の失われた世界では、白レンジャーに黒レンジャー以外は3人ともが灰レンジャーになってしまう。


 やっぱり色あってこその世界平和だ。


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