中国の陶磁
展覧会名:特別展「中国の陶磁」
会場:東京国立博物館
日時:1994年10月16日
入場料:790円



 目的があって上野に行ったわけではないんです。国立近代美術館では印象派の展覧会、上野の森美術館ではモディリアーニの展覧会が始まっていることは知っていたらか、混雑していなければのぞいてもよかったんだけど、切符売り場の様子を見ると、どうも人混みのなかをかき分けて、首と首とあいだからモディリアーニの細い女の顔を見なくちゃならないような雰囲気がして、入るのをやめちゃった。印象派の方も似たようなもので、たぶんおじさんおばさんの集団が、日本でいちばん人気のある時代の絵を、見上げていたんじゃないかな。

 そんなわけで僕は、途中の看板にあった国立博物館の「中国の陶磁」展を見ることにした。これならきっとすいてるはずだと思っていたら、案の定ゆっくりと、居並ぶ陶磁器を見ることができた。いつきてもこの博物館は、人混みで身動きとれないような状況にはならない。

 並べ方は時代順と単純明快。入り口の階段を上って右手に切符切りのおばさんが座っているのもいつも通り。中に入ると何と、紀元前5000年なんて頃の彩陶が展示してあって、今から7000年も前にこれを使っていた人がいたと思うと、身震いがする。だって僕なんて、きっと70年くらいしか生きられないと思うけど、その一生の100倍もの昔に人がいて、器を作っていたんだよ。

 土を探してきて轆轤を回して器の形にする。窯でで焼いて陶器にする。今と何にも変わらないじゃあないか。営々と繰り返してきたその延長線上に、僕が夕御飯を食べる茶碗があるのだと考えると、縁が欠けているからっておいそれと捨てられなくなってしまうね。

 加彩女人傭という人形が一対、とても気にいった。薄い眉で、小さな唇にはうっすらと紅が差してある。酒見賢一という作家の「陋巷に在り」という小説があって、そこに子容ってとても美人で、だけどとっても怖い女性が出てくる。その女性って、こんな表情をしていたんじゃないかな。

 真ん中くらいに、景徳鎮の磁器というのが出ていたけれど、むかし大阪の東洋陶磁資料館で見た派手派手な景徳鎮とは違って、実にシンプルですっきりとしていた。後半の方にもやっぱり景徳鎮が並んでいたんだけど、そっちはコバルトブルーの染め付けが一面にほどされた派手派手バージョン。最初のシンプルな景徳鎮は、何でも北宋時代のものらしく、後のは元代以降の作品。明清と時代が下がるにつれて、輸出向けの磁器が官窯で作られるようになり、景徳鎮は外国人が気に入るような文様がほどこされることになったのだろう。

 ただ清の時代の景徳鎮の中で、雍正帝の時代に作られたものは、絵柄がとても凝っていて、美しかった。琺瑯引きの絵柄は、桃があったり梅があったり鴬があったりとバラエティーに富み、当時の技術水準の高さと併せて、芸術的な水準もまた高度に発達していたことをうかがわせる展示だった。

 一周回って一時間半。まあ結構楽しめた展覧会だったんじゃあないかな。外で缶コーヒーを買って飲んでいると、外国人が自動販売機の使い方が分からないらしくて、まごまごしていた。カラスがたくさん飛んでいて、やかましい。風は涼しく、もうすぐ冬の寒風が吹くのだろうと思い、ちょっと寂しい気分になった。デニムシャツの襟を立てて、一人僕は会場を後にした。


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