BOBCATS


 あれはシドニー五輪の時だったか。オリンピックに出場の決まっているサッカーのオーストラリア女子代表が、活動費捻出のためにヌードになって写真に撮られ、それをカレンダーにして販売する、ということがあって話題になった。

 アスリートが、その鍛えられた肉体をヌードになって誇示しつつ、競技への関心を誘う例は挙げれば過去にもいくつかあって、日本ではJリーグがスタートするより以前、伸びない観客動員数を上げようと、あの釜本邦茂選手がヌードになってポスターに登場したことが広く知られている。もっとも残念なことに観客はまるで増えず、日本サッカーはまだ暫くの不遇を託つことになったのだが。

これに対してオーストラリア女子代表のヌードカレンダーは爆発的な話題を集めて売れに売れ、それなりの活動費を彼女たちにもたらすことになった。試合でも声援を集め女子サッカーの認知度向上に役立った。”体を張った”だけのことはあったと評価を受けてしかるべき、だろう。

 けれども果たしてこれは喜ばしいことなのか。”体を張った”と書くのは容易いがしかし、サッカー選手が体を張るべき場所はピッチの上、試合の時であって決してカメラの前ではなく、ましてはユニフォームを脱いだ姿で張るものではない。”体を張った”と言って褒め讃えた、その心根の奥にあったは女性が裸体を見せることへの、興味本位な感情ではなかったか。

 なるほどアスリートの鍛えられた肉体には価値がある。見せて決して悪いものではない。けれどもすでに広く知られ活躍もしているアスリートの、極限にまで高められた肉体に活躍の理由を求めることはあっても、未だ知られぬアスリートの競技者としての姿に注目するより先に、興味本位の目線で裸体に目を向け喜ぶべきではないだろう。

 脱いだのは向こうが先。こちらはそれを話題にして差し上げたまで。言えば確かにそう言える構図ではあるけれど、興味を示すだろうことが容易に想定されたからこそ脱いだまで、脱がなくては興味を持ってくれなかっただろうと言われれば、それもまた事実だろう。マイナースポーツだからといって男子新体操チームが脱いで果たして世間は話題にするか。するかもしれないけれどそれは女子サッカー代表の比ではない。

 願うのはやはり本道への敬意であり、邪道への興味ではない。女子サッカーならばピッチを駆けてボールを追っているその姿、華麗なフェイントでディフェンダーを抜いていくその姿、ボールを奪おうと激しくぶつかるその姿、逆転のシュートを決めて歓喜に震えるその姿をこそ、カメラマンが撮り記者は記事にし読者は読んで喜び支持することが何より重要だ。

 話題性に欠ける? 記事にならない? 面白くない? スポーツをスポーツとして伝えることが最大の話題であるという送り手の自負と、スポーツをスポーツとして楽しむことが最大の喜びであるという受け手の自意識を、共に醸成する作業を怠って、スポーツとは無関係な所で安易に話題を組み立て、それを批判することなく安閑と受け入れてきたことが誤りなのだと、まずは気づくべきなのだ。

 エリック・ペイソン(ERIC PAYSON)という米国の写真家による第1作品集「BOBCATS」(パワーハウスブックス)は、テキサス州トゥーソンに実際にある女子ソフトボールチーム「ボブキャッツ」の選手たちを追った姿が、50枚のカラー写真と9枚のモノクロ写真によって撮られている。

 収められているのは、ティーバッティングに励んだり、ケージをグラウンドへと運ぶ練習の模様から、合間に水を捕球したり、男子ほどにはふくらまない力瘤をベンチに座っている隣の選手に自慢したり、チームメートどうしでじゃれ合ってみせる姿、そしてゲームにのぞむ選手とそれをベンチで見つめる選手の真剣な姿。そこにはチームに所属し、支え合いながらも切磋琢磨するアスリートたちが放つエネルギーを追おうという視線こそあれ、女子選手だからという限定された視線はない。

 観客のいない夕刻のグラウンドで、灯った照明の下プレーに励む選手たち。誰の為でもない、自分たちの為にスポーツをしているんだという自負と自信がそこにはみなぎる。誰もいないグラウンドを背にしゃがみ込む選手たち。勝って喜んでいるにしろ負けて悔しがっているにしろ、スポーツをし終えた後に浮かぶ充足感と寂寥感がそこには漂う。10代の少女たちのリアルをとらえ、スポーツのリアルをとらえた1冊として、エリック・ペイソンの名ともども語り継がれるだろう作品集だ。

 話を戻せば、サッカーのオーストラリア女子代表が”体を張って”くれたお陰で、その瞬間は女子サッカーへの注目が高まった。けれどもその成果があまねく女子サッカー界へ、とりわけ日本の女子サッカー界へと生かされているかというと大いに悩ましい。むしろ当時よりもさらに話題性として後退している感すらある。

 2003年秋に米国で開催される女子サッカーのワールドカップ出場をかけた日本女子代表とメキシコ女子代表とのプレーオフに、日本でも1万2000人が駆けつけた。これは最近の女子サッカーでは驚くべき数字だが、満員になった高校サッカーの決勝には遠く及ばない。国の代表を決める試合が高校生の試合に負けてしまうというこの現実。伝える側と見る側の双方に、この国では何かが欠けていると思えて仕方がない。

 「BOBCATS」はだからこそ羨ましい。女子ソフトボールというスポーツに下心を抜いて目を向ける写真家が存在するというこの現実。それが出版物として刊行されるというこの現実。願うならこの国で、同じような目線から女子サッカーをとらえた写真集をエリック・ペイソンなり、あるは日本でアスリートを追い求めている写真家なりに出してもらいたいものだ。適うならば読者として約束する。その持つ意味、その放つ輝きを受け止め称揚するための啓発を惜しまないと。啓蒙を怠らないと。 


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