ブルーゾーン
BLUEZONE

 「復活」、なんて言葉が本とか出版物に華々しくついた時にまず浮かぶのは、長年読めなかったものが復刊されてようやく読めるようになってとっても嬉しいという気分だったりだけど、一方で「復活」と銘打たなくてはならなくなるくらい長い間「埋没」していた、あるいはさせられていた理由というてのがあったりする訳で、「復活」する作品をイコール「傑作」として諸手を上げて歓迎して良いのかそれとも悪いのか、悩む理由もそこらへんにある。

 で、「石ノ森章太郎SFの歴史的名作、復活!」なんて惹句も賑やかに登場しては本屋に並んだ「ブルーゾーン」(青林堂、1800円)という単行本、決して熱心な石ノ森章太郎のファンではないし漫画にそれほど詳しい訳でもない身ながら、「サイボーグ009」を筆頭に「人造人間キカイダー」「ジュン」「番長惑星」「ギルガメッシュ」等々、とりあえずは「歴史的名作」と呼ばれている作品は読み通していただろう記憶の陥穽に、すっぽりとはって存在にすら気づかなかった作品という気がしないでもなく、久々の復刻という意味を当てはめるなら、まさしく「復活」と銘打てる刊行だったといえるそうだ。

 ただし、帯にある「歴史的名作」か、と問われた時に浮かぶのは巨大なクエスチョンマークだったりするのが読んだ内容からの印象で、どちらかと言えば後者の「埋没」という意味にニュアンスを近くした「復活」なのかもしれないという思いが頭をよぎる。どうせだったらもっと他の、たとえば実業の日本社が出した名作漫画の再録に新作を集めた雑誌に入っていた、「ガイ・パンチ&アン・ドールシリーズ」の「ストリップ」のような作品とかを復刻してくれた方が、気持ち的にも盛り上がれたような気がしないでもない。

 さて「ブルーゾーン」。孤児として育てられた少年のジュンの所にある日弁護士が訪ねてきて、死んだ両親が遺産を残していたと告げる。どうして自分は捨てられたのだろうと、そんな疑問を抱きながらも実家を訪ねたジュンを待っていたのは、両親も姉も死んでいて、何でも幽霊だか妖怪だか異次元から来た化け物だかによって殺されたのだという事実だった。最初は信じなかったジュンも、自分に襲いかかってくる妖怪変化の類に出会ううちに、霊魂が行く異次元の存在を信じるようになり、仲間たちとともに異次元すなわち「ブルー・ゾーン」からの侵略者と戦うようになっていく。

 聞けばなるほど、ありがちな異次元侵略物という話になるけれど、異次元がどちらかといえば死語の世界とイコールで、エクトプラズムが集まった妖怪みたいなものが出てきて人間のエクトプラズムを集めたりして、どこかスピリチュアルだったりトンデモだったりする展開になっていって、読んでいると頭がちょっと苦しくなって来る。

 「ブルーゾーン」にとりつかれるた人間が陥ったのが「キツネ憑き」という状態だったというのはまだしも、円盤もエクトプラズムの集まりで、退治すると紐のようなエンゼルヘアーになって死んでしまうという描写はさすがに頭が重い。加えて退治されたのが間抜けにも分散したエクトプラズムが各個撃破されたからだという展開は、心霊写真に異次元なんてものに興味がのあった発表当時でだって読んで果たして信じたか。

 科学とか戦争とかいった部分から物語を紡ぎ出していった「サイボーグ009」のような分かりやすさとは対極の、非科学的なものに理由を探そうとするニュアンスが全編を通して染み出ていて、実際作品の中で作者とおぼしきキャラクターが「ふしぎ」なことを忌避する科学者たちを、「古来より科学とはふしぎなことをふしぎでなくするためにあったのではないか?」と批判していたりして、読んでいて居心地が難しくなって来る。

 死んだ人の魂が生きている人の体に入ると2倍強くなって超能力が発揮されるようになる、といった描写もなかなかにすさまじい。が、そうした違和感さえ抱かなければ、侵略者と戦う少年戦士といったイメージのを持った、実に石ノ森章太郎らしい萬画、というよりは昔ながらの石森章太郎らしい漫画だともいえないこともない。第1部に登場する「ブルーゾーン」に取り付かれた美女リナおなめまかしさにあでやかさ、第3部に登場する美女の姿をした戦闘アンドロイドの強靭さに悪辣さ、といった女性キャラクターの描き方も石ノ森章太郎ならでは。科学と不思議が入り交じり、少年と少女が戦うという、石ノ森萬画(石森漫画)のある意味典型としてここは素直に「復活」を喜ぼう。


積ん読パラダイスへ戻る