ブルー・ポイント


 輪廻とか、来世とか天国とかを信じるほど夢想的ではないけれど、だからといって繰り返しのきかない現世なんて我侭勝手に生きればいいさと言い切れるほど皮相的にもなり切れない。たった1人、生まれ暮らし死んでいくのだったら我侭の限りを尽くそうとも構わない。けれどもしかし、何人何十人何百人何千何万もの人たちと、薄く厚く細く太く関わりを持って生きていかなくてはならない以上、そしてすべての人が皮相的ではない以上、迷惑の連鎖、混乱の波及を引き起こすような振る舞いは避けるのがやはり筋。精一杯、出来うる限り「良く生きる」ことを規範に人は、この限りある生を、やりなおしのきかない人生を暮らすべきなのだろう。

 などといったことを、もはやベテランと言っても良いキャリアを持つ日野鏡子の、実に4年ぶりという小説作品「ブルー・ポイント」(朝日ソノラマ、476円)を読んで考えた。実のところ夢想家が読めば希望と恐怖をあわせて得、皮肉屋が読めばだから現世をおかしく楽しく生きようぜと思うだろう、微妙で重く且つ深いテーマをはらんだ小説だ。それぞれがそれぞれに、それぞれの感性に一致したメッセージを受け止めてしまったら、多分それは作者の伝えたかったメッセージとは、プラスにもマイナスにも対極の結果を招きかねない懸念をはらむ。

 目覚めるとそこは謎の国。南を高い壁、北を険しい山に阻まれ、東西には果てしない荒野が広がっていて誰1人として逃げ出すことがかなわない。たとえ荒野を決死の覚悟で進んでいっても、首にかかった賞金ならぬ「青ポイント」なるものを狙って狩人が追って来て、まずは完璧に捕まり連れ戻されてしまう。唯一、その閉鎖世界から出る方法があって、それには善行を積むなり狩人のような仕事をこなして「青ポイント」を貯めるかしかないのだという。

 どこか異国のバザールを思わせる文化風土気候を持ったそんな国に、気がつくといた主人公の穂積は、閉じこめられていることへの憤りか、それとも押しつけへの子供っぽい反抗心からか、国を治める太守の諌めに耳を貸さず、3人の仲間を集めてひたすらに脱走を繰り返すばかりだった。仲間になったのは大学院で生化学の研究をしていた鏑木とサラリーマンだったという成嶋、そしてまだ中学生のような背格好をした鳥遊。鏑木が設計し成嶋が工作し穂積が実行し、鳥遊は誘い惑わし模様を眺めるといった分担で、4人は<脱走ブラザース>なるものを気取り自称して、善行を積んで「青ポイント」を貯めろと諭す太守に逆らっては、失敗を繰り返していた。

 巨大な車に柱を乗せて勢い良く壁に取り付けられた扉にぶつけ、打ち破ろうとしたことがあった。長大な梯子を建造して、一息に壁を乗り越えようとしたことがあった。けれども何度挑戦を繰り返したところで、<脱走ブラザース>が成功することは1度たりともなかった。失敗に失敗を重ねる状況下、鏑木は太守の依頼で、その国で唯一の蛋白源になっている「プー」という動物に代わる人工的な蛋白質の生成を始め、成嶋も子供相手に木のおもちゃ作りを始め、心の安らぎを手に入れる。

 そうして仲間が1人去り、2人去った穂積に残された脱走仲間は若い鳥遊ただ1人。けれども歳に似合わず徹底した皮相家ぶりを見せ、一切を自分ではしようとしない鳥遊に対して、どこか太守から一目置かれているように見え、自身も太守に見覚えがあるような感触を得ていた穂積は、違和感を覚え袂を分かつ。そして太守の願いを聞き入れて、「青ポイント」の獲得に臨むようになる。太守が穂積和人に出したその願いとは、街に現れては住人たちを溶かしてしまう、マヒガシサチコと名乗る魔女を倒すことだった。

 どうして誰も逃げられないのか。「青ポイント」を貯めると一体どこに行けるのか。太守の正体は。魔女というよりアニメの魔女つ娘としか見えない扮装をして、ルビーの指輪から放つ光線で住人たちを次々と溶かしていくマヒガシサチコとは何者なのか。やがて明らかになる真相、そして穂積がおかれた状況から浮かび上がって来るのは、生きることの難しさと、生きていることの素晴らしさだ。我侭勝手は宜しくない。かといって功徳を来世への貯金のように捉える打算的な人生でも絶対にない。優しさや慈しみを、格好良いとか悪いとか、役に立つとか立たないといった価値観抜きに示して現世を精一杯に生きる大切さだ。

 大学院で動物実験を繰り返していた罪滅ぼしに、合成肉を作ろうとする鏑木や、忙しさにかまけて我が子を放っておいた記憶に胸痛めながら、子供相手におもちゃを作る成嶋のような生き様から、やり直しの利く時間を夢想してはいけない。鳥遊のような、シニカルでいることが格好良いんだと思い込み、自分さえ良ければ良いんだと思い込んで、その日を楽しく暮らす皮相的なスタンスを学ぶのはもってのほか。今をどう生き、これからをどう生きるのか。そのことを強く考えさせられる。

 その意味で、何を読んでもシニカルに受け止めるようになる前の若い人に、是非とも読んでもらいたい本であるし、作者と同様に社会人として社会の波に揉まれ叩かれ、経済的精神的肉体的な苦境も経た上で、残された人生に決着をつけようと思い始めた時期にある人にも読んでもらいたい一冊だ。たとえ最初は手にはめた赤い指輪を読者に向けて、脚を内股に八の字にして空中に浮かぶおしゃまな顔をした魔女っ娘の表紙に惹かれて買っても構わない。深くて重くて哀しくけれども美しいドラマを、今をこうして生きていることの素晴らしさに気付かせてくれる物語を、読み終えて感じてもらえればとても嬉しい。


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