美少女教授・桐島統子の事件研究録

 見た目が肝心なのだ。人間の一生は、多くが見た目に左右されるという気がする。美しいかそうでないか、可愛らしいかまるで違うか、いずれにしても見た目が良ければいろいろと得をすることもあるし、そうでなければ逆に損をすることもある。

 などと、どこかで聞いたことのあるようなフレーズを持ち出し、強調するまでもなく人間は、見た目によって相手の多くを判断するし、見た目によって人生の多くを楽しく生きられもすれば、難しく生きざるを得なくもされる。

 それはノーベル生理学・医学賞を受賞した世界的な科学者でも同様。人類にとって多大な貢献をした人物であっても、88歳の老婆であっては人はなかなか熱のこもった感情を抱きづらい。これが17歳の美少女だったら。その業績への果てしない敬意に留まらない熱情を抱き、恋情を覚えて動向を貪るように見守ろうとするだろう。

 その顕著な実例が、「『このミステリーがすごい!』大賞」で優秀賞を獲得してデビューした喜多喜久による「美少女教授・桐島統子の事件研究録」(中央公論新社、1400円)だ。また小学生だった芝村拓也は、日本人の女性としては初めてとなるノーベル生理学・医学賞を受賞した桐島統子という女性科学者が、学校に講演にやって来た際に面会する。

 当時、すでに80歳になっていた桐島統子は、それでも矍鑠として活力にあふれているようだった。拓也は彼女のしてきた仕事に感嘆し、心酔して自分もあなたのような科学者になりたいと訴えて、「まずは科学を好きになることだ」とアドバイスをもらう。それから勉学に励んで見事に合格した東京科学大学で、拓也は桐島統子と再開を果たす。感動の、ではなく驚嘆の。

 入学前に行われた健康診断の結果について話したいからと、学校の中で呼びだされた拓也は、本業は探偵という、黒服を着てサングラスをかけた黒須征十郎という男に連れられて、学校の地下にある秘密めいた場所へと向かう。途中で着ていた服を脱がされ、全身にシャワーを浴びせかけられるくらい厳重な防護が行われたその先で拓也を待っていたのは、しわだらけの白衣を着た美少女だった。

 まだ10代にしか見えない彼女はそして、拓也に「会うのは二度目だったね」と言い、自分は桐島統子だと名乗る。そんなバカな。同姓同名の誰かではないのか。違った。まさしくノーベル生理学・医学賞を受賞して、小学生の拓也を感動させた桐島統子、その人だった。けれどもいったい。聞くと前年の3月、かつて教鞭をとっていた東科大に講演に来た際、急に体調を崩して意識を失い、その場で入院させられた。生死の境をさまよって2週間。突然肉体が若返り始めたのだという。

 何かウイルスに感染したのかもしれない。けれども何も出てこない。とはいえ防疫は怠れないと、桐島統子は大学の地下に研究施設をもらってそこに隔離され、彼女の親戚という黒須に食料や資材などを運んでもらい、今なお明晰な頭脳を働かせて人類に役立つ研究に勤しんでいた。ただ、感染の可能性を考えると征十郎は中までは入れない。そこで拓也に白羽の矢が立った。

 拓也は大学に入学する際の健康診断で、どんなウィルスにも病原体にも感染しない「完全免疫」を持っていることが分かった。8年前に1度、桐島統子と出合っていた子供が、長じて驚くべき状態にある桐島統子に都合の良い体質の持ち主で、彼女の手伝いをすることになる。これは偶然か。それとも何か因果があるのか。想像してみたいことでもあるけれど、今回はそこには触れられず、話はもっぱら大学に現れる<吸血鬼>を巡るミステリアスな謎解きへと向かう。

 拓也とは同じ高校から進学した飯倉祐介という男子が、叔父という准教授の研究室にいる面々とともに、叔父の家で開かれた飲み会に参加した直後、高熱を出して意識を失い、瀕死の状態に陥る。天才の桐島統子によって、原因は間もなく突き止められたものの、どうしてそんな事態が起こったのかを、友人を助けたい思いから探るうち、拓也は過去に似たような事態があったことを知る。

 誰が。どうして。地下に居ながらも膨大な知識を持った桐島統子の推理と、彼女の言葉に従い情報を集めて回る拓也の働きによって、2つの事態の裏側にあった企みが暴かれる。世界が置かれた状況の、相当に瀬戸際だったことを考えると、桐島統子にはノーベル生理学・医学賞に加えて、ノーベル平和賞が贈られても良いかもしれない。もっとも、受賞の場には行けないけれど、その17歳の愛らしすぎる姿では。

 これがただ、地下の施設に隔離された88歳の老女による、安楽椅子探偵に似たような活躍では果たして、桐島統子に心酔する拓也はともかく、小説を読む人の関心を引きつけたかというと、難しいというかほとんど関心を引き留められなかっただろう。たとえ中身は88歳でも、見た目は17歳で科学者らしく聡明で、合理的な物言いで斬り込んでくる桐島統子というキャラクター造形があったからこそ、「美少女教授・桐島統子の事件研究録」は手に取られ、読まれ驚かれ好まれる。見た目が肝心というのは、つまりそういうことなのだ。

 加えて、桐島統子が聡明さの隙間から見せる乙女らしい情動も、読む人を引きつけて止まない。たとえ肉体は17歳でも、気持ちは88歳だから下着はずっと使ってきたズロースを今も身につけている。それを地下では洗濯できいからと、拓也に渡して捨てて欲しいと頼む。

 拓也はいったいどんな気持ちだっただろう。喜んでいいのか、嘆くべきなのか。その立場になって考えると、何とも言えない懊悩に身悶えしたくなって来る。なおかつ、ズロースへの違和感を拓也が表明したことで、桐島統子はようやく触れるようになったパソコンを使い、ネットを使ってかわいい下着とか服とかを見たり、買ってみたりするようになった。

 これが、ただ世間知らずなだけの正真正銘の17歳なら、手を取り足を取って導いてあげようという気にもなるけれど、中身はノーベル生理学・医学賞を受賞した天才にして88歳の老女。上からは諭せず、下からも媚びられない相手に向かう心理の微妙な揺れ具合が、読み手の興味を作品へと引きつけ、離さない。

 戦争中とか戦後とかだった若い頃とかには存在せず、関心も持てず手にも入らなかったそれらに興味を抱くのは、88歳が覚えた過去への郷愁なのか、それとも17歳の肉体が欲する衝動なのか。若返ることの意味について考えてみるのも面白そうだ。いつか本当に若返りなり、不老の技術が登場した時に、心だけ老成して肉体もそれに引きずられるように朽ちていく事態を避ける手がかりがある。

 およそロマンスの欠片も見えない桐島統子と拓也の間に、恋路が見える可能性があるのかも気になるところ。ライトノベルでは齢1000年の化物でもヴァンパイアでも女王様でも、見た目美少女なら少年と恋に落ちることがある。けれども、現実社会の感性に立脚したハードカバーの文芸書で、果たしてそうした心理は生まれ働くものなのか。その辺りを続きがあるなら描いて欲しいもの。桐島統子の病気が、単なる見た目肝心への奉仕ではなく、人類史の中で持つ意義も含めて。


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